「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「独学のすすめ 時代を超えた巨人たち」(谷川健一)

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 ワタシは塾とか予備校とか習いごととは無縁で、唯一、中学の頃、小田原の名門塾「杉山教室」の杉山雅夫先生から学んだ英語のみ。それが自分のベースになり、あとはずっと独学。大学受験のときも、予備校に行かず(行くおカネが出せず(笑))旺文社の「大学受験ラジオ講座のみ。ボロボロになるまで繰り返し、第一志望の明治大学農学部に現役合格することもできた。「酒場のギター弾き」ギターも独学、自己流。スポーツクラブは3回入会したけど、忙しくて途中退会。(笑)やっぱり独学が好きなんだなあ。(相田みつをふうに)(・∀・)

 
さてこの本。「民俗学者谷川健一が、敬愛する6人の先達の生き方を通して、人生を自力で切り開いていくことの大切さを改めて問いかける。谷川自身が選んだ道も「生涯、独学者であり続ける」ことだった」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・私の座右の書に『大日本地名辞書』という辞書があります。吉田東伍が独力で著した地名辞書です。明治40年版なのでもうぼろぼろ。数年の間、カラスが鳴かない日はあっても、地名辞書をめくらない日はないといってもいいくらいこの辞書の世話になりました。
 
著者の吉田東伍は後年早稲田大学の教授になった人ですが、学歴は新潟県の英語学校の中学部の退学者です。その彼が、発奮したのは32歳のとき。明治28年から40年までの13年を歳月を費やして、地名辞書を完成させました。ざっと五千ページ。4百字詰めの原稿用紙でおよそ3万枚の原稿を独力で書きました。そのおそるべき執念は、彼が独学だったから生まれたと私は思います。もし彼が学歴に恵まれて順調な学究生活を送っていたとしてならば、その偉業をなしとげることはできなかったでありましょう。
 
南方熊楠吉田東伍の文章に共通したひとつの特徴があります。それはその文章が血肉化した知識で成り立っているということです。そして二人ともきわめて直截に自分の判断を下して、その姿勢はあくまで自分が主人公で、知識が従者であります。知識の馬を乗りこなして、自分はその知識の下敷きではなくて主人公になっているこれがこの二人の文章の特徴です。
 
民俗学創始者である柳田国男も、ある意味では独学者です。彼は東京帝国大学の法学部を卒業したエリートですが、大学では民俗学はひとつも習っていないのです。彼が創り上げた民俗学は、自分の力で、自分の目で、自分の耳でたしかめた知識をもとにして創り上げたものです。
 
・常民を動物とわける唯一の区別のしかた、それは何かといいますと、人間は死後を考えることのできる生物であるということです。死後の世界について、さまざまな観念とかイメージとかをはたらかせ、どうなのだろうということを思いめぐらせて、死後の世界に対する儀式、儀礼を営むことを行ってきた生物、あるいは動物なのです。他の動物は、死後の世界を考えることはありません。しかし、人間は考えますそこが動物と人間のちがいです。
 
・昔は農村や漁村ではどこでも、結婚前の若い専念男女の交渉がありました。娘の家に青年が通うことも行われて「よばい」という言葉で残っています。よばいというのは夜這うというのではなくて、呼ぶ、向こうから呼ぶ、いわゆる招婿婚、招き入れる婚姻の形、呼ぼうということからよばいという言葉が出たのです。昔は妻のもとに男を呼び入れて、妻のもとで生活させるという結婚の形態が普通だったのです。
 
南方熊楠」「柳田国男」「折口信夫」「吉田東伍」「中村十作」「笹森儀助」どれも巨人だ。いいなあ。今、ネットも充実しているから「独学」しやすい環境は整っているよね。オススメです。(・∀・)

 

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