小松左京といえば、昭和40年代の『日本沈没』だろう。あのブームはすごかったね〜!さいとう・たかを氏のマンガも衝撃的だったね〜!小学校の頃だから、いつか日本は沈没するもんだと思っていた。(笑)
さてこの本。日本SF史に輝く傑作の数々を遺した小松左京の原点は、戦中戦後の動乱期を過ごした旧制中学・高校時代にあったのだ!平成も終わろうとしている今、戦中戦後の青春を知るのも良いよね。そのエッセンスを紹介しよう。
・私自身の青春は「明朗」どころではなかった。半分は時代のせいもあり、あと半分は、おそらく私自身の性格と、そのころまでうけてきた教育のせいもあって、何とも彼とも、陰惨なものだった。いま思い出してもぞっとする。「青春」とははたで見るほどすばらしいものでも何でもなくて、不細工で、汗くさくて、はずかしくって、何ともやりきれないものである。
・私の生まれた昭和6年には、満州事変がおっぱじまり、小学校に上がった12年には日中戦争がはじまった。5年生の時太平洋戦争がはじまり、中学校にはいった都市に学徒動員計画がはじまった。中学2年の時にサイパン玉砕、中学生の工場勤労動員がはじまり、B29の大吸収が始まる。中学3年の時には大阪、神戸が焼野ヶ原となって終戦、あとは占領下の闇市、食料欠乏の大インフレ、預金凍結、新円切りかえ、中学5年で旧制三高にはいったと思ったら、その年から学制が現在の六三制にかわり、旧制一年だけで新制大学第一期生に入学、その年日本は、下山、三鷹、松川事件と国鉄中心に怪事件が続発し、翌年挑戦戦争勃発……。政治、思想、人生などの諸問題、そして何よりも飢餓と貧困にクタクタになって、やっと昭和29年、一年遅れで卒業した時、世の中は「もはや戦後ではない」という合言葉とともに「神武景気」「技術革新」の時代に突入しつつあった。その年、家は完全に倒産した。こんな具合だから、わが青春が「明朗」であろうはずがない。
特に「なぐられる青春」「昭和20年8月15日」「焼け跡の休暇と闇商売」「わが人生最高の日」「すばらしき青春の休暇」「青春の終わり」など。
ハチャメチャだね〜!こんな時代に生きてみたかったね〜!確かに青春って輝かしいものではなかったなあ!(笑)いつかワタシもこんな青春記を書いてみたい。オススメです。(・∀・)♪