「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ブッダがせんせい 心を育てるこども仏教塾」(宮下真)

 

小学生のころから呼んでいる手塚治虫ブッダ『希望の友』連載が1972年だから、50年以上、読み続けてるなあ!♪ 単行本は全巻持ってたけど、どっかに行っちゃったなあ!♪ (笑)

 

「子供に教えたいブッダの“言葉”を集め、子供にも読めて理解できるような平易な文章で分かりやすく解説する本ブッダが残した多くの言葉から、毎日の過ごし方のこと、友だちや家族のこと、勉強のことなどに関連したものを選んで紹介」その中でもコラムで「仏教からきたことば」が、めちゃくちゃいいので、それを紹介しちゃおう。

 

【仏教からきたことば】

 

 
「愛嬌」=だれもが敬愛したくなる、仏や菩薩の温和で慈悲深い顔立ちを「愛嬌相」といいました。これが「愛嬌」や「愛想」の語源とされています。
 
「安心」=仏教語では、心の迷いがなくなった安らぎの境地のこと。浄土宗では、阿弥陀仏の救いを信じて疑わず、浄土に往生を願う心をいいます。
 
「我慢」「我に執着し、驕り高ぶり他人を侮るという悪い意味で使われた仏教語。我が強い、頑張る、強情などの意味に変化して、現在の意味になりました。
 
「油断」=(涅槃経)ある王様の家来が、油をいっぱい入った器をもたされ、王様に油を一滴でもこぼしたら首をはねる」と言われたことから。
 
「行儀」仏教行事の儀式のやり方を「行儀」といいました。行」は、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)=平生(へいぜい)で日常の立ち居振る舞い。「儀」は法則のこと。
 
「覚悟」=真理に目覚めて悟りを開くこと。
 
「意地」眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識によってものごとを認識するとし、全体を支配するのが意識=意地ということ
 
「退屈」=修行の苦しさや困難に負け、精進努力の心を失うことを「退屈」という。困難にぶつかって尻込みする、疲れていやになるという意味もある。
 
「無事」=禅の世界で、外に向かってあれこれ求める心が消えた状態を「無事」といいます。自分の内なる仏(仏性)に出会うことも「無事」です。
 
「挨拶」「挨」は「押す」、「拶」は迫るという意味があり、もとは禅宗で門下の僧と問答をして、その悟りの深浅を試すことを「挨拶」といった。
 
「玄関」禅宗「玄妙な道に入る関門」をさすことば。
 
「自然」「じねん人口のものではない天地の万物をさすことが。ものごとの本性としておのずとそうなること。
 
 
「愚痴」「有り難い」「お陰様」「機嫌」もそうなんだよね〜。日本人の暮らしに密着してるよね。すごいなあ、仏教は。オススメです。(・∀・)♪