「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ショージ君、85歳。老いてなお、ケシカランことばかり」(東海林さだお)

ウチの親父よりも一歳年上の東海林さだおセンセイ。85歳なんだね。スゴイなあ!♪ エッセイは全作品読んでるから、当然最新刊も待ってました!とばかり読みました。( ^∀^)
 
 
パンツがいけない。パンツのせいでこうなった。パンツを叱りつけたい。パンツを睨みつけるのだが適切な言葉が思い浮かばない。「責任者呼べ!」と叫ぶメイワク老人を横目に、我々もまた、つまづいた石に、パンツをはくにもよろめく体に、腹を立ててはいないだろうか。 デビューから55年超。85歳になってもなお、日本の漫画・エッセイ界の最前線で走り続ける東海林さだおが、年齢による肉体の衰えについて、逆に衰えることのない好奇心とユーモアについて、変わっていく死生観について、おおいにつづり、語ります」そのエッセンスを紹介しよう。

【水分を小まめに】
 
人間トシをとってくると些細なことに難くせをつけたくなる。最近で言うと「熱中症の予防のために小まめに水分を取りましょう」というやつ。この「小まめに」というところ。ぼくは嫌いなんですね。この「小まめに」という言い方が。セカセカした感じがするし、コセコセした感じもあるし、小賢しい感じもする。どっしり構えた感じがなくて小物感横溢。「まめ」を更に小型化したのが小まめ。つまり「暑さは全ての人間を小物にする」ということでしょ。だから、今街を歩いている人は小物ばっかりということになる。
 
それともうひとつ。「小まめに水分を取れ」と言った後「ノドが渇く前に飲め」というやつ。ノドが乾いてない状態が未後ろ常態なのだ。でも、飲め、という。ノドがカラカラに渇いているときにガブガブ飲む水は天下の美味だが、渇いていないのにチョビット飲む水ほど美味しくないものはない水はゴクゴク飲んでこそ美味しい。
 
 
【序(つい)での力】
 
 
いま、世間にはいろんな「力本」が出まわっている。『聞く力』『悩む力』『断る力』『別れる力』などなど。かつては老人力という本がベストセラーになった。「老人」と「力」は馴染みそうにない言葉と言葉だと、思いがちだが「老人力」とまとめるとちゃんと馴染む。つまり、力はどんな言葉にくっつけて使ってもいい、ということ。力に関しては、その使用方法は無政府状態である、ということ。だから「序(つい)で力」なんてことを言い出しても誰も文句を言えないということ。
 
この「序(つい)で力」というのは、例えば一家でコタツに入っていて、一人が立ち上がると、「序でに新聞取ってきて」「序でにミカン持ってきて」「序でにお風呂の火つけてきて」ということになる。
 
 
・格言は何のためにあるのか。いま窮地に陥っている人のそばにいて、「ヤーイ、ヤーイ、ホラ、みなさい」と手をたたいている人用に作られているのか。格言はヤーイ、ヤーイなのか。そんなことはない。
 
・(死について)もう若い頃とは全然変わりましたね。もう全然「いつ死んでもいいなあ」っていう思いはありましたね。やりたいこともやったし。何かやらなければならない大きな目標もあるわけでもないし。そろそろいいかなって(笑)。
 
・(楽しみについて)面白いことは、いくらでもありますよね。欠伸一つ取ったって、面白がろうと思えばけっこう面白がれる。ぼくは、欠伸もそうだけど、白湯をテーマにエッセイを1本書いたこともありますからね。毎日30分歩くのも、健康のためでもあるけど、好奇心のためでもある。飽きないですよ。
 
・(執筆・制作について)描くことがつらいとかモチベーションがなくなるとかは、ぼくにはありえないですね。やっぱり好きなんでしょう。アイデアがなくなることもないですね。いつも、何か思いつくとアイデア帳に描きためていて、そのアイデア帳は、も673冊目になります。
 
 
「見るもの聞くもの、腹の立つことばかり」「懐かしきかな“昭和の音”」「序(つい)での力」「相田みつを大研究 名言を量産したっていいじゃないか、書けるんだもの」「葛湯の実力」「遠ざかる青春 懐かしき早稲田の街を歩いてみれば」「焙(ほう)じ茶」をめぐる冒険」「明るい自殺」「昭和の蝿を懐かしむ」「寂しいのはお好き?定年後、世捨て人のすすめ(ソリタリー)」 など。