「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「名文探偵 向田邦子の謎を解く」(鴨下信一)

またまた向田邦子さん関連本。しかし全作品読破を目指しているけど、なかなか終わらないなあ!(笑)これだけ研究の対象になるのが、スゴいことだよね〜!♪(・∀・)

 
「父の死に顔に母がかけたという“豆絞り”の嘘とは?向田邦子は“軍人”が好きだった、というのは本当か。名作かわうそのラスト1行にある“写真機”の意味。後年テレビで性を、それも“不倫”を主題にした訳は?向田ドラマの演出家であり、盟友でもあった著者が推理小説の手法で読み解く」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
向田邦子を書くには「記憶と記憶力」のことから始めなければならないだろう。何といっても、彼女の最大の天からの授かりものは「記憶」だった。〈向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である〉(山本夏彦という文章力も〈生活人の昭和史〉(谷沢永一と称されたその内容も、あの「記憶力」があればこそだった。
 
向田邦子の成功は、この記憶の性質をそのまま作品の構造に転用して、まとまった長いエッセイを書いたことだった。『父の詫び状』の諸作品は、だいだいがこの〈記憶の連鎖〉の構造になっているが、なかでももっとも成功したのはねずみ花火」だろう。。ここでは〈人の死〉に関する思い出が次々わき起こってきて、それがそのまま作品の卓抜な構成になっている。
 
向田邦子の記憶再生の火打ち石(フリント)は〈食べ物〉あるいは〈食べること〉だった。味覚ばかりではない。御飯やみそ汁からの立ち上る湯気も、カレーの匂いも、皿小鉢の模様も、すべてが記憶のフリントとなった。
 
父・敏雄の気の遣い方というか、親切のかけ方は、向田邦子のそれと酷使している。いかにも、そんなことをするのは照れ臭くってといいたげに、遠廻しで、いくつかのクッションや細工があって、うっかりすると見逃して、とでやっとそれとわかるようなものだった。ああ、これは遺伝だったのかー。
 
「小説」の中で、どれほどの〈真実〉をいってしまうかは後にして、「エッセイ」の中で作家はどのくらい〈嘘〉をつくのだろう。脚色・潤色といってもいい、文飾といってもいい。どれくらい〈真実でないこと〉を書くのだろう。向田邦子はどうだったのか。
 
・ぼくは〈家長恐怖(フォビア)〉は、向田邦子が少女の頃から、その早すぎる死まで一生の間抱きつづけた心理的問題点〉だったように思う。
 
 
「〈昭和の記憶〉を懐かしむ時代」「記憶違いの闇にひそむもの」「エッセイはすべて真実だったのか」「実在していた〈富迫君〉」「自伝的小説「胡桃の部屋」」「写真機の謎」など。

 

なるほど。確かに。著者の鴨下さんこそが、探偵だね。この推理は正しい、おそらく。向田邦子ファン、必読。オススメです。(・∀・)