「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「言葉の園のお菓子番 孤独な月」(ほしおさなえ)

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もう25年くらい前に五行歌に出会い、その時に「歌会」というものがあることを知った。それから横浜歌会を立ち上げた。あの頃は、毎日歌を詠んでいた。読売、朝日、毎日、産経などの新聞に掲載されたり、五行歌展でも入賞したりした。あの頃は「酒場のギター弾き」の活動は少なかったなあ。その後、徐々に「詠む歌」よりやっぱり「歌う歌」にシフトしていった。懐かしいなあ。

 

さてこの本。久しぶりに「歌を詠んで」歌会に出たくなりました!「続々再版の人気シリーズ、待望の第2弾!亡き祖母の縁で始めた連句を通して新しい人や仕事と繋がっていく一葉。別れと出会い、悲しみと喜びが孤独な心を静かに照らす感動作」そのエッセンスを紹介しよう。

 
月は本来秋の季語。ただ月といえば秋の月を指す。でも連句では別の季節の月を詠まなければならないときもある。そういうときは「春の月」「夏の月」などど季節の名前を入れるか、春なら「朧月(おぼろづき)」夏なら「月涼し」など、その季節の月の季語の形にするのである。
 
式目っていうのはルールとはちょっとちがうと思うんですよ。規則として暗記するものじゃない。そうですねえ。服の着こなしや料理の作法とも似てる気がしますけど過去のだれかが見出した絶妙なバランス』みたいなものかな。
 
人々が考えたことのうち後世に伝わるのはほんの一部ですよね。名もない人の言葉は跡形もなく消えてしまう。語るのをためらう人もいる。伝わってきたとしても、後世の人間がわかることはほんのわずかなんですよね。人の想像力にはかぎりがある。同じ状況に身をおかないとわからないことの方がずっと多い
 
子どもができて見えてくるものもあるのかもしれない。わたしもいまになってはじめて、あのときの祖母の言葉の意味が少しわかった。でもきっとこれは全部じゃない。子どもができたら、孫ができたらそのたびにちがうことを思うだろう。
 
連句は輪廻を嫌うんです。一歩もかえらず前に進むのが旨ですから、一周して輪になってしまってはいけないんです。
 
・ 短き爪に色のせてをり
 
「あ、いいですね、恋っぽくなってきました」「なんで?なんでこれが恋なんですか?」身体の部分はだいたち恋につながるんです。それに爪を飾るというのも…」
 
連句の世界では女が出てくれば恋なんだよ。少女でも母でも祖母でも尼でも。
 
『人々の心を照らし月静か』人々の心にはいろんな想いがある。それを平等に照らしながら、月は遠く静かである。連句会でこの句を読んだとき、心打たれたのを思い出しました。太陽のようにあたためることはできないただ遠くで光っているだけの存在だ、と。みんな月のように遠くからほかの人を照らすだけ。でもその光があれば生きていける
 
わたしたちが生きることと似ている。接する、切れる。でも一点ずつつながっているから、ばらばらにほどけてしまうことはない。鎖のように。これがもうひとつ前の句ともつながっていたら鎖がこんがらかってしまう。一本のつながりをつくるためには、切れなければならない。切れるのは忘れるということじゃない。切れるから覚えている
 
人には見えない部分がある。ふだんは気がつかないけれど、みんないろいろなものを抱えて生きている。いっしょに連句を巻くと、それがわかる。世の中のすべての人もそうなのだ、と気づく。これから生まれる命もあれば、もう帰らない命もある。耐えがたいこともあるけれど、みんなそれを受け入れて生きている。むかしからずっと。そうやって生きていくしかないし、それでも人は生きていける。月のように遠くに浮かんだ誰かの姿が、小さな希望になったりもする。もういない人のぬくもりとともにいることだってできる。連句を巻くことで、そのことを知った
 
うさぎやどらやき」「石垣りんシジミ』」「空也もなか」「向ヶ丘遊園」など。
 
ホント、ほしおさなえワールドはハマるよなあ。どっぷりつかると別のバーチャル世界が開けてそこに自分がいるようだ。このシリーズも続々編が楽しみ。超オススメです。(・∀・)

 

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