「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「坂の上の雲(一)」(司馬遼太郎)

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年齢を重ねるとともに、歴史に興味を持つよね。遅ればせながら司馬遼太郎を読むのはほとんどはじめて。坂の上の雲もタイトルは聞いたことがあったけど、読むのははじめて。いいじゃん、面白いじゃん!正岡子規っていいね〜!!!(・∀・)
 
「維新で賊軍とされた伊予・松山に、三人の若者がいた。貧乏士族の長男で風呂焚きまでした信さん(後の秋山好古)、弟で札付きのガキ大将の淳さん(真之)、その竹馬の友で怖がりの升さん(正岡子規)である。三人はやがて、固陋なる故郷を離れ、学問・天下を目指して東京に向かう。しかし、誰が彼らの将来を予見できただろうか。一人は日本陸軍の騎兵の礎をつくり、一人は日本海大海戦を勝利にみちびき、さらに一人は日本の文学に革命を起こすことになるのである」そのエッセンスを紹介しよう。
 
青春というのは、ひまで、ときに死ぬほど退屈で、しかもエネルギッシュで、こまったことにそのエネルギーを知恵が支配していない。「それが、若いことのよさだ」と、子規は歩きながらいった。
 
・好古はいった。「人生や国家を複雑に考えてゆくことも大事だが、それは他人にまかせる。それをせねばならぬ天分や職分をもったひとがあるだろう。おれはそういう世界におらず、すでに軍人の道をえらんでしまっている。軍人というのは、おのれと兵を強くしていざ戦いの場合、この国家を敵国に勝たしめるのが職分だ」と、好古はいう。「だからいかにすれば勝つかといことを考えてゆく。その一点だけを考えるのがおれの人生だ。それ以外のことは余事であり余事というものを考えたりやったりすれば、思慮がそのぶんだけ曇り、みだれる」
 
・(真之は)学者になるにはむかない。学問は根気とつみかさねであり、それだけで十分に学者になれる。一世紀に何人という天才的学者だけが、根気とつみかさねの上にするどい直感力をもち、巨大な仮説を設定してそれを裏付けする。真之は学問をするかぎりはそういう学者になりたかったが、しかし金がない。学問をするには右の条件のほかに金が要るのである。
 
・一同を当惑させたのは洋服であった。洋服を着用する経験は真之以外はみなはじめてで、なかにはシャツのボタンをどうはめていいかわからず顔を真赤にして苦心している者もいた。真之はさっさと洋服を着た。この当時の日本のふつうの生活と海軍兵学校の生活には差があった。いわば、この築地の一郭五万坪だけが生活様式として外国であったといえるであろう。
 
・アジアにあっては日本国だけが勃然として洋化を志し、産業革命による今世紀の文明の主潮に乗ろうとした。旧文明のなかにいる韓国からみれば狂気とみえただろうし、ヨーロッパ人からみれば笑止な猿まねに思えたに違いない。
 
このとしー明治22年東海道線が全通している。好古、子規、真之らがはじめて東京に出てきたときは神戸・横浜を往復する汽船を利用したものであったが、このわずかな期間に世の中がこのぶんだけ進歩した。
 
・兄の好古は独身主義者で「軍人でも学者でも、嫁をもらうと堕落する」という独断をもっている。好古にいわせると、この国家を興すために大勉強をせねばならぬというのに、嫁をもらって家庭をつくるとふしぎに呆けてしまうだから嫁をもらわねばならぬとしたら、うんと晩婚がいい、というのが自説であった。
 
当世書生気質」「妹と背かゞみ」(とうせいしょせいかたぎ)は、坪内逍遥(春の屋おぼろ)、読んでみたいね。明治の人って生き生きしているよね。いいなあ。じっくり完読します。オススメです。(・∀・)

 

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