「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「永久保存版 懐かしの木造校舎」(武田信夫)

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ワタシが入学した小田原市立桜井小学校。昭和46年の頃、まだ木造校舎と木造の講堂が残っていた。その後入学した千代中学校は昭和52年の頃はすべて木造校舎。そして三年のときに木造校舎が壊されてコンクリート校舎に変わってしまった。卒業アルバムには、富士山とともに懐かしの木造校舎が残されている。思い出すなあ…!
 
 
明治・大正・昭和の三代、100年以上にわたって生きてきた木造校舎。しかし、その大半は消え去り、いまや幻となりつつある。20年間にわたって撮りつづけた全国の小学校、2万枚のフィルムから各時代、各地方の特色を色濃く残した校舎202校を厳選、600点に及ぶ後世に残る貴重な映像記録」その中で特に印象に残った写真を紹介しよう。
 
洋風木造建築の手法を駆使した明治から大正の木造校舎、村の一人一人が裏山から木材を伐り出して作った手作りの木造校舎その時代や地域性、文化を表現して来た木造校舎は、その大半が統廃合によって姿を消していった。現在残っている古い校舎もほとんど改築計画が決まっており、数年で姿を消すだろう。なだらかな山々を背に素朴な姿を見せた木造校舎は、画一的なコンクリート校舎に変わっていく。
 

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・五年ほど前の春、翌年取り壊しが決まった新潟県十日町市八箇(はっか)小学校へ撮影に出かけた。昭和九年に建てられた素朴な板張り校舎は、教育の場であると同時に八箇の人々にとって生活、文化の中心となってきた。全員でも五十人程の小さな学校は、家庭的な雰囲気にあふれ、木のやわらない肌触りと共に初めて訪れた私をあたたかくむかえてくれた。
 

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今日まで沢山の子供達を見守り育ててくれた木造校舎が間もなく取り壊されます。長い間、頑張ってくれた木造校舎に感謝の気持を持って最後の一年を過ごしましょう」との校長先生の呼びかけで、最後の一年が始まろうとしていた。
 

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・雪が解ける間もなく木造校舎最後の卒業式をむかえ、八人の卒業生は無事、中学生として巣立っていった。八箇峠の山桜が花開く頃、木造校舎は取り壊され、私の取材は終わった。真冬でも素足で廊下を走り廻った子供達、窓からの光をやわらかく包み込む木造校舎。すべてが私の前から姿を消していった。そして今まで訪れた校舎の一つ一つが私の心のふる里として強く胸にきざまれてゆく。
 

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・北から南へ、そしてまた北へと続いた取材の旅で、私の手元に二万枚のフィルムと五百校にのぼる木造校舎の写真が残された。木造校舎の姿は消えても、手元のアルバムを開くとき、私はいつでもふる里に帰ることが出来るのだ。

 

いや〜胸がしめつけられるような思いが蘇る。いいなあ、懐かしいなあ。あの匂いをかぎたいなあ。時々手にとって眺めたい写真集です。超オススメです。(・∀・)

 

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