「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「昭和恋々 PARTⅡ」(久世光彦)

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著者の久世光彦さんは、ちょうどワタシの両親と同じ世代。あの頃の昭和って、ちょうどこんなカンジだったんだね。
 
あのころは、ゆっくりと流れる時間の中で子供たちの笑顔が輝いていた。失くしたくない、忘れたくない昭和がここにあるー。昭和の日々を写真とエッセイで綴る。川本三郎俵万智久世光彦による特別鼎談も収録」そのエッセンスを紹介しよう。
 
「女学生」
 
・いまでも私は、セーラー服の女の子を見ると「女学生」と言って、傍の人に笑われる。女子中学生とか女子高校生とか、なかな言えないのは、年齢のせいだけではなく、あのころの「女学生」が忘れられないのである、
 
「喧嘩」
 
子供が喧嘩をするのは当たり前だった。喧嘩に負けて泣いて帰っても、父や母はちょっと横目に見るくらいで、宥(なだ)めてもくれなかったし、その理由も訊ねてもくれなかった。偶(たま)に勝つと、相手の親が苦情を言いに、本人帯同で家(こっち)にやってくる。とにかく頭を下げさせられる。本人たちは納得していなっくても、親同士の間で今後の友好条約が締結されて、めでたしめでたしとなる。戦争前の子供の喧嘩なんて、そんなものだった。鼻血を出したり、前歯の一本やそこら折ったって、誰も何も言わなかった。いまみたいに学校へ問題を持ち込んだりする間抜けな親は、一人だっていなかった。
 

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▲「豆腐屋
 
このごろは「豆腐を一丁」とはほとんど誰もいわなくなった。ワンパックと言う。箪笥の一棹は死語になっても仕方がないが、豆腐だけは一丁、二丁であって欲しいと思う。
 
「電話」
 
芥川や菊池寛小島政二郎たちは、予告もしないで、いきなり相手の家を訪ねている。いたらいたで良し、いなければ、さほどがっかりもせず、「ああそうですか」と帰る。そのために省線から市電に乗り換え、さらに二十分も歩いてやってくるのである。のんびりした話だが、それが普通だった。売れっ子の文士たちの家にも、電話はなかったのだ。それほど数が少なかった電話が、いまでは歩いている人のポケットに一つずつあるようになった。便利は便利だが、どこで、何をしていても、忽ち御用になってしまう。ーその割に言い訳の数は昔より増えていない。昔もいまも、とかく世間は住みにくい。
 

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▲「広告塔」 あの!伝説の光クラブだよ!!!本当に「広告塔」があるとは!知らなかった!
 
・亡くなった山本夏彦さんと話したことがある。街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語の主役はー「歳月」である
 
その他、「木造校舎」「虫籠」「米搗(つ)き」「鋳掛屋」「鯉のぼり」「帽子」「花売り娘」「バナナのたたき売り」「靴みがき」「千人針」「上野動物園」「古物屋の大時計」「坂道」など。

 

いいなあ……昭和って。ワタシもいつか、こんなエッセイを書いてみたいなあ。オススメです。(・∀・)

 

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