「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「無名仮名人名簿」(向田邦子)

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またまた読んでいます、向田邦子さんの本。文章のいたるところに名言・至言が隠れている。
 
「なにげない日常や仕事先で出会った人々や出来事を鋭くも温かい観察眼とユーモアで綴る。大いにうなずき、笑いながら涙が出てくる不朽の名エッセイ集」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・小学校の頃、お弁当の時間というのは、嫌でも、自分の家の貧富、家族の愛情というか、かまってもらっているかどうかを考えないわけにはいかない時間であった。当番になった子が、小使いさんの運んでくる大きなヤカンに入ったお茶をついで廻るのだが、アルミのコップを持っていない子は、お弁当箱の蓋についでもらっていた。蓋に穴のあいている子は、お弁当を食べ終わってから、自分でヤカンのそばにゆき、身の方についで飲んでいた。私がもう少し利発な子供だったら、あのお弁当の時間は、何より政治、経済、社会について、人間の不平等について学べた時間であった。残念ながら、私に残っているのは思い出と感傷である。
 
女子供のお弁当は、おの字がつくが、男の場合は、弁当である。
 
・ポケットにしまっておいたマスクを鼻にもっていったときの、寝臭いのような息の匂い人懐かしいような湿った匂いを思い出した。
 
天の網はまことに不公平である。まるで蝶々かとんぼのように、小さな嘘をついた女の子はつかまえるが、四億五億のほうはお目こぼしである。もっとも天網といいうことばには「かすみあみ」という意味もあるという。いつの世でもかかるのは、小さな小鳥だけなのもしれない。
 
私は万年筆を三本持っている。三本の中で一番書き馴れたのを本妻と呼び、次に書き易居のを二号、三番手を三号と呼んでいた。この本妻も二号も、他人様からの掠奪品である。
 
「キノネエ醤油」という看板をみかけて、随分謙遜したものだと感心したら、キノエネの間違いであった文章でも、横書きのものは、一度自分の頭の中で縦書きに直して読んでいる。
 
祖父は、愚痴をこぼす代りに、おみおつけのお椀が真赤になるまで、とんがらしを振りかけたのだ。腹を立て、ヤケ酒をのみ、女房と言い争う代りに、戦争をのろい、政治家の悪口をいう代りに、鼻を赤くして大汗をかいて真赤なおみおつけをのみ下していたのだ
 
氷を買いにゆく時は、往きはゆっくり帰りは急げ、豆腐屋はその逆で往きは急いで帰りはゆっくり。子供の頃、祖母からこう教わったが、どの家にも冷蔵庫があり、豆腐はスーパーでパックになったのを売っている昨今では、役に立たない教訓になった。第一、子供がお使いに歩いている姿を見かけなくなった。
 
女学校時代のことだが、クラスでただひとり、掃除当番を免除されている人がいた。別に体が弱いわけではなく、ヴァイオリンを習っているので、指が固くなるといけない、というのがその理由であった。一人だからいい。だが、もし全員がヴァイオリンを習って、掃除免除にして下さいと願い出たらどうするのだろうと思った記憶がある。
 
・人間と人間のつきあいも、ちょっとつきあって、あの人は判ったわ、などと思うことは、トルストイ源氏物語のほんの一部を読みかじって、判ったと思い込むことに似ているところがある。
 
人形遣いは無表情である。その無表情の中に絶妙の表情がある。目立ってはいけない黒子の抑制の中にほんの一滴二滴、遣う者の驕りがないまぜになって、押えても押えても人形と同じ、いやそれ以上の歓びや哀しみや色気が滲んでしまう。私はいつも人形を見たの人形遣いを見たのか判らない気持で帰ってくる。
 
女の髪は夜は冷く重くなる。寝苦しい夏の夜も、汗ばんでいるのは地肌に近い生際
だけで、女のお尻と髪はいつもひんやりと冷いのである。それでなくても昔の夜は暗かったから、指先と匂いと朧な月の光で恋をした。演出と小道具に心を砕けばたいていの女は美女になれた。幸せなひとは、たったひとつの欠点を気に病むが、あまり幸せでないひとは、たったひとつの自慢のタネにすがって十分楽しく生きていけるのであろう。
 
「五歳のときなにしてらした」とたずねたら倉本聰氏は、人の倍はありそうな大目玉で、「ぼんやりしてた」と答えてくださったのである。たしかにあの時分は、テレビもマンガもなかった。いま、ぼんやりしている五歳の子供はいるのだろうか。
 
「待っていたら、席なんかひとつもないのよ。あんた、女の幸せ、とり逃すよ」
 
駅で自動券売機から切符が出ない時も同じで、まずひとつふたつ殴ってみる。これは私だけではなく、今の日本人の半分は、特に戦前・戦中派と呼ばれる年格好には多いのではないだろうか。機械が故障する、間違えると、ブン殴りながら、少しほっとする。美人で出来のいい女房を持ち、いつも頭が上がらないでいた男が、やっとひとつ欠点を見つけ、叱言(こごと)を言いながらほっとしているのと似ている機械を憎み愛し信用して「人」としてつきあっているところがある。ただし、新しい機械を創り出すのは、どんな時でも機械を殴らない男たちである。
 
・辞書を引いていて気がついたのだが、隣り同士として考えると、随分面白い組合せでならんでいる。「恋女房」と「小芋」がならんでいる。「手文庫」と「出臍」、「左派」と「鯖」、「恋愛」と「廉価」、「ハネムウン」と「はねまわる」、「結婚」の隣りは「血痕」で、ドキッとしてしまう。
 
志ん生の落語のマクラ「おっかなくて臭くてうまいものは?」「鬼が便所で豆を食ってる」
 
・私はこの三年ほど、机は使ったことがない。人並みに机は持っているのだが、本や台本を積み上げてあるので、使いものにならない。小学生のとき、私は机という字と枕という字をよく間違えたが、私のとって机は本当に枕なのである
 
「取替えてかえら、やっぱり前のほうがよかった、と思うことがあるのよ」「いっぺん取替えることを覚えると、また取替えたくなってしかたがないの」
 
・うちの甥は、やっと口が利けるようになった頃、数字の一を見てNHKと言った。テレビのチャンネルを先に覚えてしまったのである。
 
たまに大きいことを考えようと上を見ると、いい格好の雲が浮かんでいる。理想とか夢とというのは、こういうものだな、と納得がゆくのだが、あまりにも大き過ぎ離れ過ぎているち、いまひとつ取りとめがなくてピンとこない。私のような小物には雲よりも風船がいい。糸をつけて自分の手で持ち、下から見上げることが出来る。パチンと破けても、また別の風船を見つければいい。ノイローゼだ自殺だとさわぐことなく過ごせる。
 

「お弁当」「拝借(口紅、眉墨、靴下)」「マスク」「天の網(茶店ハムレット)」「縦の会」「唯我独尊(キネ子と金冠)」「七味とんがらし」「転向」「普通の人」「孔雀(クズ屋)」「特別」「長いもの」「人形遣い」「正式魔」「黒髪(時は鐘なり、髪と女の幸せ)」「白か黒か」「席とり」「キャデラック煎餅(会社のカレンダー)」「殴る蹴る」「スグミル種」「隠し場所(ダイヤ入りの氷)」「隣りの責任」「ポロリ」「桜井の別れ(森繁久彌の「近眼のパチンコ」)」「麗子の足」「パセリ」「笑う兵隊」「女子運動用黒布襞入裁着(ひだいりたつつけ)袴(ブルマー)」「次の場面」「自信と地震」「目をつぶる」「蜆(成長に60年)」「コロンブス」「臆病ライオン」「鍵」「眠る机」「メロン」「お取替え」「青い目脂」「おばさん(靴磨き)」「金覚字(お嬢さんとお嫌さん)」「カバー・ガール」「キャベツ猫(夜店のヒヨコ=松坂慶子)」「道を聞く」「目覚時計」「静岡県日光市」「ハイドン」「金一封(ご不浄のご祝儀)」など。
 
いいなあ。普遍の文章だね。全作品読破までまだ3分の1。オススメです。(・∀・)

 

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