「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「メルヘン誕生 向田邦子をさがして」(高島俊男)

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ときどき、無性に吉野家の牛丼が食べたくなるように、懐かしいフォークソングが聞きたくなるように、向田邦子の文章が読みたくなる。(・∀・)
 
 
「メルヘンの語り部はひそかに血を流していた…「古きよき家族」という昭和のメルヘンになった『父の詫び状』。成功を収めた天才作家の光と影を描く、全く新しい向田邦子論」」。そのエッセンスを紹介しよう。
 
向田邦子の文章は男の文章である。一つ一つのセンテンスがみじかく、歯ぎれがよい。言い切ってしまって余情をのこさない。余韻たっぷり、とか情緒纏綿、というところがない。そうした調子を、意識して排除している。男の文章と呼ぶゆえんである。
 
わざと古いことばを使うこともよくある。たとえば「辞典」と言わずに「字引き」と言う。「電灯」と言わずに「電気」と言う。むかしは電気器具といえば電灯しかなかったから、電気」と言えば電灯のことだったのである。市電が都電になってもう五年もたっているのだが、頑固に「市電」と言っている。
 
向田邦子は古い女で、その「分」の観念がしみついており、無意識のうちに文章のなかに「のくせに」が出てきてしまう、というのではない。意識的に「のくせに」と言っているのである。つまりこれは一種の挑戦であり、主張である。
 
・最もめざましいのは「ゆく」である。向田邦子は「いく」をきらい、断固として「ゆく」を使った。
 
向田邦子は、ことばの感覚のするどい人であった。また、文章のじょうずな人であった。つみかさねてゆく一つ一つのセンテンスに変化があり、その変化がこころよい階調をなす。これは天性のものであろう。戦後の、新かたづかいで文章を書いた人のなかでは、一番うまいと言ってさしつかえないのではないか、と思う。しかしまた一面、かなり投げやりな、粗雑なところもある。これは一つには、期限のさだめのあるものを、ゆとりを持って書きはじめず、ギリギリになって着手するために推敲のいとまがなかったことによるのだろう。おそらく向田邦子は、文章を寝かせたことがなかったであろう。
 
向田邦子は男が好きであった。男を尊敬していた。その男には、性よりもっとだいじなーすくなくとも性のことよりもはるかに多くの時間をそのことにむけ、頭をつかい、魂をかたむけていることがある。事業とか、学問とか。理想とか、社会主義とか。
 
・単行本『父の詫び状』によって、昭和十年代のサラリーマン家庭が、メルヘンになった。邦子はちょっとおしゃまなかしこい姉娘。かわいい弟や妹たち。頑固一徹のたのもしいお父さん。それにひかえめだがしっかり者のお母さんと、陰影のある祖母。なつかしい昭和十年代の生活。ーこれが、こわすことのできないメルヘンのわくぐみである。
 
・客観的に見れば、向田邦子はまちがいなく成功した人だった。しかし当人は、毎日、敗北者だった。そして最後は、敗北者らしく、りっぱに玉砕した。
 
「「初老」の頻出」「三島ぎらい」「なつかしの昭和十年代」「徴兵保険と徴兵保険会社」「潰れた鶴」「精巧なおもちゃ」「お嬢さんの視界」「しばられないよころび」など。

 

これは鋭いなあ……死後何十年もたって文学論が出版されるなんて!珍しいよね。向田邦子ファン、必読です。オススメです。(・∀・)

 

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