我が故郷・新潟県が生んだ偉大な巨人・ジャイアント馬場。子どものころ梶原一騎の「ジャイアント台風」ってマンガがあったよね。馬場の偉大さを我々は知らない。この本「1964年のジャイアント馬場」は感動の一冊だったね。
さてこの本。「巨人軍のピッチャーから、世界を股にかけるプロレスラーへ。巨躯のスポーツエリートは、宿命を背負った一人の心優しい男でもあった――。運命的なプロレス入りと師・力道山、17歳と15歳で出会った最愛の妻・元子との結婚までのさまざまな障壁。ジャイアント馬場とその妻・馬場元子の初公開の往復書簡など貴重な一次資料をもとに、ジャイアント馬場に最も信頼されたスポーツライターが書く、語られなかった真実」そのエッセンスを紹介しよう。
・兵庫県明石市の閑静な住宅街ある本松(ほんしょう)寺。 創健は1596年。寺の本堂の裏手に、 ごくごく一般的な大きさの直方体の墓石が一基、 建てられたのは1999年5月のこと。馬場家各霊位。 プロレスラー・ジャイアント馬場。 昭和の高度成長期から平成のバブル崩壊後まで、 約40年にわたってリングに上がり続けた男。 生涯現役を貫いた末、1999年1月31日、 61歳で帰らぬ人となった。
・兵庫県明石市の閑静な住宅街ある本松(ほんしょう)寺。
馬場の出生地は新潟県三条市。明石は妻・元子の出生地である。 自身の父や母や兄が眠る三条には戻らない。 明石を永遠の地とする。馬場がそう宣言したのは自身47歳、 落葉の季節のことだった。 骨となった馬場がすぐ埋葬されたわけではなかった。 納骨式がおこなわれたのは19年後、2018年6月のこと。 ジャイアント馬場と馬場元子。それもまた、 ふたりの愛の形だったー。
・やはり私は、スポーツがやりたかった。「この大きな体を思い切り動かしたい」という気持ちが、 当時人形町にあった力道山道場に、私の体を運んでいったようだ。 “ようだ”と書くのはおかしいかもしれないが、 実際私にはその時、「プロレスラーになろう」 というはっきりした意志はなかった。 何かが私をそこに引き寄せたのだとしか、私には思えない。
いわゆる馬場の恋物語だね。いいなあ。愛すべき人だね〜。秘蔵写真と往復書簡も初公開。それを見るだけでも価値がある。いいなあ、馬場。プロレスファン必読。オススメです。(・∀・)