今回のワタシの入院と退院を記念して(!?)、ブログの本の紹介とともに「テレビで放映されないコロナ闘病記」というタイトルに変更して、しばらく、ナマナマしい事実を紹介します。少しでもこの病気の理解とコワさを知っていただければ、と思います。
入院二日目、ICUにいるときからメモが解禁になりました。(寝たきりなのに)愛用のノートにそのとき、どんな治療をしたのか?何を感じたのか?を記録しました。極力、原本に忠実にここの記します。参考になれば幸いです。
8月13日(金)入院二日目
・ICUのラジオ解禁!ニッポン放送を聞く、 ようやくペンと手帳をもらえた、書ける! 3日間延びていたら死んでた。看護師「ラッキーでしたよ! 野々村真と同じですよ!」 一時は人工吸気が必要かもしれなかったので、ICUに入った。ピークは超えたので、 それは乗り越えましたよ。
・肺炎?肺が機能していない?オヤジと同じ道か?
・終活の必要性、本当に人生に必要なものはシンプルだ。 スマホはダメで、手帳はオーケー。アナログ強し。
・ずいぶん楽になったが、少し動いたりするとすぐに苦しくなる。 なぜ?いつからこうなったのかがわからない。入院時の第一声「 いままで、たいへんでしたね」ねぎらいのあたたかい言葉。
・ここにいると、時計がない、窓がない、日が射さないので、日にちと曜日の感覚がない。(ノートに)漢字が書けない、思い出せない。 ようやく書くことに頭を使って考えることが少なくともできるよう になったからのか、考えること、 書くことが半端なくエネルギーを使い、疲れる。
・11:20 レントゲン。病室にいながらできるってスゴイ。
・13:30 レムデシビルなどの治療、入院の書類10種類書く。
・12:10 心電図 二日目は異常なし。一日目は異常で心配していた
・13:00 (床ずれ防止)カラダの位置を変える。尿のクダ、残尿感が残る。 わずか一日のできごと。本当にこれがなかったら死んでた。 拓郎は肺ガンのときのどう感じたんだろう。精神状態が知りたい。 高校の後輩も肺の半分を取った。でも歌っている。 みんな強いなあ。
・そういえば、8月5日くらいから、 モノの見え方が変わっていた。トイレまでの距離、 朝日の写真をを撮るときの扉の重さ、 ベランダの最上階への脚の運び、など。熱はなかったはずなのに、 どこか意識がおかしかった? 救急車に乗る際のエレベターまでの廊下の距離が遠かったこと。
・ラジオの雑音がないとツライ。静寂はいやだ。癒やしは笑い、 音、会話、音楽じゃなくていい、鳴っているだけでいいのだ。
・スタッフの方、皆親切、感じがイイ。それだけで癒やされる。I
・それにしても担架ってスゴイ。 救急車からノンストップで病院内まで行った。 車椅子に乗り換えることなく。そりゃ歩けなく(歩かなく) あるわー。
・酸素吸入ってすぐれもの。77→95まで。歌丸師匠と同じか! ?
・14:10 ベッドで歯みがき。一瞬だけ鼻マスクに替える。看護師、 常に最悪のことをシミュレーションしているのはさすが。「生食」 点滴は静脈だが、この点滴は動脈に打っている。 血圧も自動的に管理していてICUにしか使われないスグレモノ。
・看護師「何かスポーツやってました? ふくらはぎの鍛え方が違う」
・ダイヤモンド・プリンセス号のベッドバージョン。テレビも、 差し入れも、運動も、情報もなし。 ベッドの上がワタシの世界のすべて。
・16:20 リハビリ。「大変だと思うけど、早くから始めないと、歩けなくなっちゃいますからね〜」右脚5回動かすだけで息が上がる。 パルスオキシメーター77%というのはかなりの異常。 空気中の酸素は21%。酸素マスクの酸素は純度100%、95% まで上がるのに3分以上かかる。身体の向きを替える、 肺に負担がかからないように。
・(窓がないのと、寝たきりなので) 天気も日時も雨が降っているかどうかもわからない。
・全く情報が入らないのはつらい、ラジオのみ、けっこうつらい、 これが何日続くのだろうか?
・妻が心配。電話もLINEもメールもできない。
・西日本では記録的な雨、関東では降ったりやんだり
・ニャンコがいたらなあ、頭をなでなでだけで癒やされる
17:00 位置替え 真横+だきまくら、めちゃいい!
20:00 寝返り打てない、位置替え。少し動く、これだけで息が苦しい! 汗をよくかく。巨人岡本逆転打!
21:45 位置替え。
23:00 痰で死にそうになる。うつぶせ寝はキツイ。2回位置替え。就寝。
つづく。