「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「少年のふろく」(串間努)

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「少年」のふろく

「少年」のふろく

 

ワタシが新潟にいたころ、かろうじて記憶がある月刊誌「少年」。それから週刊誌が一般的になって台頭していくのだ。そしてそのころ当時の学年別学習雑誌の「ふろく」が本当に楽しみだった。キリンちゃんのように首を長ーーくして待っていた。(・∀・)

 

さてこの本。「 鉄腕アトム鉄人28号を生んだ雑誌『少年』。中でも子どもたちの心を捉えて放さなかった「組み立て付録」とは、どんなものであったのか。その歴史と変遷、付録の果たした文化的役割などを探る」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・かつて『少年』というストレートなネーミングの雑誌が、少年たちを熱狂させた時代があった。ある世代以上の方にとっては、少年時代の記憶を思い出す「よすが」になる雑誌だろう。また、日本を代表するアニメとなった鉄腕アトム」「鉄人28号の生みの親であるということで強く強く印象づけられているかもしれない。
 

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・別冊マンガ以上に楽しみだったのが、組み立て付録である。何しろ前号の予告、カラーで描かれた組み立て付録の素晴らしさは、一ヶ月間、小遣いの少ない少年の胸をワクワクさせるのに十分だったのである。このように少年の小さな胸を毎月ドキドキさせた『少年』の付録。
 

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バネやゼンマイなどの動力の代わりは「輪ゴム」で、回転軸は「割りピン」で行われた。幻灯機の懐中電灯など、どうしても足りないものは、各家庭で用意してもらうことになるがなるべく使わないよう工夫してある。セロハンテープは昭和40年代前半には、子どものとってふんだんに使えるものでもなかった。「セロハンテープと、乾電池をふんだんに使いたい」というのは当時の少年全員共通の願いではなかったか。
 

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鉄道郵便が廃止されるまで(郵政省は昭和61年9月30日をもって国鉄を用いた郵便輸送を全廃した)は、郵便車が貨物列車に連結されていて、小包は鉄道敏で遠隔地へ運ばれていった。そして雑誌や本も鉄道によって全国津々浦々に選ばれていた。距離によって時間差があり、雑誌の次号予告ページには「一部地域では発売日が異なります」という注意書きがあった
 

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月間少年漫画誌国鉄特運の制限を受けて試行錯誤している間に、トラック輸送による学校への直接販売という独自の販路を持った学研の『科学』と『学習』が、昭和38年以降、プラスチックなどを豊富に使い、子どもらの人気を獲得していくまた高度経済成長時代の進行とともに、玩具・文具など子どもマーケットのグッズも活性化し、その消費に応えるだけの資金体力を一般家庭の家計や獲得していく。たとえば組み立て紙工作はプラモデルの出現で退潮し、双六や簡易ゲームは、野球盤や本格的ボードゲームの出現で陳腐化する。そして雑誌の通信販売広告とデパートの玩具売場の魅力がより増し、月刊誌の組み立て付録を凌駕してくるのである。
 
輸送規制のあおりを受け、昭和30年代は付録といえば、別冊まんがが中心となっていくが、それも昭和34年の週刊漫画雑誌の創刊を迎え、数年後に週刊誌人気が定着すると、月刊少年誌そのものの存在基盤が薄れ各社の看板誌が相次いで休刊、今では組み立て付録は少女まんが誌、学年誌幼年誌に面影を留めるのみとなってしまった。週刊誌とテレビの台頭で月刊漫画誌が消えていくのは時代の流れあるから、たとえ国鉄による制限がなく金属使用が認められても、世代交代を止めることはできなかっただろう。
 
中村星果

 

ああ〜〜!なんかいいなあ〜〜懐かしいなあ……。この手作りのアナログなものって、いまこそ必要な気がする。オススメです。(・∀・)

 

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「少年」のふろく

「少年」のふろく