毎日毎日、コロナの感染者と死者が報道されているよね。それまでもなくなる方はいたんだろうが、それを知らされることはなかった。それだけ「死」は身近だということ。
そうだよね、死亡率100%なんだから。(笑)
さて、この本。「死んだらコオロギになる。そう信じる人々がいる。あばくのでもなく、かくすのでもなく、寄藤文平が描いた等身大の死のカタチ。「死ぬってなに?」素朴な疑問を、絵で考えた新しい『死の本』」そのエッセンスを紹介しよう。
「死のカタチのキホン」
世の中にある「死のカタチ」をまとめてみると
生きている世界の「コチラ」のほかに
死んだあとの「アチラ」 の世界があるというカタチが多いことがわかりました。。
その2つの世界を「死」という境目が区切っている。
いろいろなカタチで死を考えることができますが、
これを、キホンのカタチとしてみました。
→地底世界に行く[古代日本・五行思想]
今の人は、死んだ人を思うとき、空を見上げたりしますが、 昔の人は地面を見つめ、手を合わせたのかもしれません。 ちなみに「よみがえる」という言葉は「黄泉から帰る」 が語源とか。
→近所の島に行く[パプアニューギニア・トロブリアンド諸島]
この地域のキリウィナ島の民族は、 死ぬと近所にある実在の島に行くと考えていたようです。 そこでふつうに結婚したり仕事をしたりして、 年老いると海で脱皮。 胎児に戻ってヤシの葉に包まれて運ばれたあと、 もとの島で新しい命として生まれるのです。 ほのぼのとした死のカタチ。でも、昆虫とか爬虫類以外は、 脱皮したらよくないと思う。
・ 日本の栄華配給収入ランキング20位のなかで人が死ぬ物語の比率 を調べてみました。「およそ9割」。 子ども向け映画以外のほとんど全部です。さらに、その5割は、 大量に人が死ぬのです。「人が死なない国では、 物語のなかで人が死ぬ」この数字を見るかぎり、みんな、 人の死が大好きなんだと思いました。 イランやインドのような国の映画で、 人が大量に死ぬような話は見かけません。人が死なない国では、 現実の死を考える機会がないかわりに、 死にまるわる物語を通して、 死を考えるようとしているのかもしれません。
・「毎日、ちょっとずつ折りたたんでおく」。 ときおり死のほうから自分をふりかえってみる。死を前にしても、 自分の人生に押しつぶされないように、できるだけまっすぐ、 死に向かって毎日を折りたたむ。ささやかですが、 そうやって考えながら生活することが、今の僕にできる、 死とのつきあい方のように思いました。
「街の年間死亡者数」「家の年間死亡者数」は改めて見ると、コロナで亡くなる人がいかに少ないかがよくわかるよね。「死」について考えよう。オススメです。(・∀・)