「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「死にカタログ」(寄藤文平)

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死にカタログ(だいわ文庫 D 339-1)

死にカタログ(だいわ文庫 D 339-1)

  • 作者:寄藤 文平
  • 発売日: 2016/12/10
  • メディア: 文庫
 

毎日毎日、コロナの感染者と死者が報道されているよね。それまでもなくなる方はいたんだろうが、それを知らされることはなかった。それだけ「死」は身近だということ。

そうだよね、死亡率100%なんだから。(笑)

 

さて、この本。「死んだらコオロギになる。そう信じる人々がいる。あばくのでもなく、かくすのでもなく、寄藤文平が描いた等身大の死のカタチ。「死ぬってなに?」素朴な疑問を、絵で考えた新しい『死の本』」そのエッセンスを紹介しよう。

 
「死のカタチのキホン」
 
世の中にある「死のカタチ」をまとめてみると
生きている世界の「コチラ」のほかに
死んだあとの「アチラ」の世界があるというカタチが多いことがわかりました。。
その2つの世界を「死」という境目が区切っている。
いろいろなカタチで死を考えることができますが、
これを、キホンのカタチとしてみました。
 
→地底世界に行く[古代日本・五行思想
 
昔の日本では、死んだ人は「黄泉(よみ)」という地底世界に行くことになっていました。「黄泉」島根県にある「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という坂道で現世とつながっていたそうです。
今の人は、死んだ人を思うとき、空を見上げたりしますが、昔の人は地面を見つめ、手を合わせたのかもしれません。ちなみに「よみがえる」という言葉は「黄泉から帰る」が語源とか。
 
→近所の島に行く[パプアニューギニア・トロブリアンド諸島]
 
この地域のキリウィナ島の民族は、死ぬと近所にある実在の島に行くと考えていたようです。そこでふつうに結婚したり仕事をしたりして、年老いると海で脱皮胎児に戻ってヤシの葉に包まれて運ばれたあと、もとの島で新しい命として生まれるのです。ほのぼのとした死のカタチ。でも、昆虫とか爬虫類以外は、脱皮したらよくないと思う
 
日本の栄華配給収入ランキング20位のなかで人が死ぬ物語の比率を調べてみました。「およそ9割」子ども向け映画以外のほとんど全部です。さらに、その5割は、大量に人が死ぬのです。「人が死なない国では、物語のなかで人が死ぬ」この数字を見るかぎり、みんな、人の死が大好きなんだと思いました。イランやインドのような国の映画で、人が大量に死ぬような話は見かけません。人が死なない国では、現実の死を考える機会がないかわりに、死にまるわる物語を通して、死を考えるようとしているのかもしれません。
 
「毎日、ちょっとずつ折りたたんでおく」ときおり死のほうから自分をふりかえってみる。死を前にしても、自分の人生に押しつぶされないように、できるだけまっすぐ、死に向かって毎日を折りたたむ。ささやかですが、そうやって考えながら生活することが、今の僕にできる、死とのつきあい方のように思いました。
 
「街の年間死亡者数」「家の年間死亡者数」は改めて見ると、コロナで亡くなる人がいかに少ないかがよくわかるよね。「死」について考えよう。オススメです。(・∀・)

 

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死にカタログ(だいわ文庫 D 339-1)

死にカタログ(だいわ文庫 D 339-1)

  • 作者:寄藤 文平
  • 発売日: 2016/12/10
  • メディア: 文庫