「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」(若林正恭)

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お笑いコンビ「オードリー」若林正恭「激レアさんを連れてきた」で毎週テレビで見ているが、こんなステキな文章を書くとは思わなかったっ!!!キューバ旅行記でありながら、父と子の物語なのだ!

 

第3回斎藤茂太賞受賞!選考委員の椎名誠氏に「新しい旅文学の誕生」と絶賛された名作紀行文。飛行機の空席は残り1席――芸人として多忙を極める著者は、5日間の夏休み、何かに背中を押されるように一人キューバへと旅立った。クラシックカーの排ガス、革命、ヘミングウェイ、青いカリブ海……「日本と逆のシステム」の風景と、そこに生きる人々との交流に心ほぐされた頃、隠された旅の目的が明らかに――落涙必至のベストセラー紀行文」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
20代。ぼくの部屋にはエアコンがなかった。エアコンというものがこの世に誕生する前、エアコンがないことが辛くて自殺したした人間した人間はいるだろうか?
ぼくはエアコンがないことが辛いのではなくて、エアコンをほとんどの人が持っているのに、自分が持っていないことが辛かった。
 
キューバって安全なの?」とよく聞かれたが、キューバ中南米の国の中では群を抜いて治安が良い。キューバ危機や社会主義の国のイメージが、危ない国の対象となっているのだろう。5日感、この国の価値観からぼくを引き離してくれ。同調圧力と自意識過剰が及ばない所までぼくを連れ去ってくれ。ぼくは今から5日間だけ、灰色の街と無関係になる。
 
キューバはネットの電波が飛んでいない。街中ではほとんどネットが使えない。ぼくは、タクシーの列の横を運転手一人一人の顔と体格をよく見ながら歩いた。なるべく細くて背が低くて、恒例の運転手を探した。もしものことがあった時に、腕力でなんとか勝てそうな運転手を選ぶのだ。幸い、キューバ銃社会ではない。体力的に買っていれば命まで取られることはないだろう。同性を動物として勝てるかどうかで見るのは久しぶりだった
 
ニューヨークや東京で見るような近代的な高層ビルはひとつも見当たらない。どの建物も年季が入っている。まだ仄かに残っている街灯の明かり。道路脇に停まっているっ車は、どれもクラシックカーだ。だいぶ先の汚れた煙突からは真っ黒い煙が吐き出されていて、海の方角へふらふらと漂っている。汚くて古いのに、東京の町並よりも活力を感じるのは、なぜだろう。どのぐらいの時間眺めていただろう。全然飽きなかった。しばらくすると、街は太陽の光を浴びて色を伴ってきた。人の声や車の音、人間が活動する音が徐々に耳に入ってきた。ぼくは笑っていた。「笑み」というレベルではなくて、口を押さえてほとんど爆笑していた。これはどんな笑いなんだろう。誰かの顔色をうかがった感情じゃない。お金につながる気持ちじゃない。自分の脳細胞がこの景色を自由に、正直に、感じている。今日からそれが3日間限定で許される。なぜなら、キューバに一人で来たからだ。
 
カバーニャ要塞で一番記憶に残っているのは一匹の野良犬だった。真っ昼間の炎天下のカバーニャ要塞、死んでいるかのように寝そべっている野良犬になぜか目を奪われた
薄汚れて手厚く扱われている様子はないが、なぜか気高い印象を受けた。東京で見る、しっかりとリードにつながれた、毛がホワホワの、サングラスとファーで自分をごまかしているような飼い主に、甘えて尻尾を振っているような犬よりよっぽどかわいく見えた。なぜだろう。あの犬は手厚い庇護を受けていない。観光客に取り入って餌を貰っている。そして、少し汚れている。だけれども、自由だ。誰かに飼いならされるより自由と貧しさを選んでいた。ぼくの幻想だろうか?それとも、キューバだろうか?
 
この景色は、なぜぼくをこんなにも素敵な気分にしてくれるんだろう?いつまでも見ていられる。ぼーっと目の前の風景を眺めていると、なるほどそうか、あることに気づいた。広告がないのだ。社会主義だから当たり前といっちゃ当たり前なのだが、広告の看板がない。ここで、初めて自分が広告の看板を見ることがあまり好きではないことに気づいた。東京にいると嫌というほど、広告の看板が目に入る。それを見ていると、要らないものも持っていなければいけないような気がしてくる。必要のないものも、持っていないと不幸だと言われているような気がぼくはしてしまうのだ。
 
・東京でのぼくは自他共に認めるインドア人間であるからだ。もしかしたら、出不精ではなくて東京に行きたい所がないのかもしれない出掛けたい所があることって、人を幸せにするんだな。「明日も、まだ行ったことがない所に行ける」
 
悲しみにキューバに来たはずなのに、そういう気分に全然ならなかった。苦しんでいた親父が他界した時、悲しみとともにホッとした気持ちもあった。親父はもう天国で好きなだけ酒もタバコもギターもやれるんだ。そんな安心があった。亡くなって遠くに行ってしまうのかと思っていたが、不思議なことにこの世界に親父が充満しているのだ。現にぼくはこの旅の間ずっと親父と会話をしていた。いや、親父が旅立ってからずっとだ。生きている時よりも死んだ後の方が誓うなるなんてことが、あるんだな。
 
・ぼくがこの目で見たかったものって何だったんだろう?帰りの機内で考えていた。マレコン通りに集まる人々の顔が脳裏に浮かんでくる。ああいう表情は、どういう気持ちの時にする顔だろう?この目で見たかったのは競争相手ではない人間同士が話している時の表情だったのかもしれない。ぼくが求めていたものは、血の通った関係だった。ぼくにとって、その象徴の一人が親父だった。

 

この本を読んで、ワタシも父のことを思い出しました。男同士って、父と子ってなかなかコミュニケーション、難しいよね、というか恥ずかしいよね。父が生前、一度だけ一緒に五行歌の歌会に行ったことがある。普段は外出しない父が珍しい。あれが最期だったなあ。ワタシが新潟に帰りたくなるのも、父やご先祖様に会うためなんだな、と気づきました。超オススメです。(・∀・)

 

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