さて、この本。「横山やすしがラジオ「漫才教室」に初出演したのが、1958年1月。ちょうど60年が経つ。このタイミングで、父についてまったく語ってこなかった息子の木村一八が、父について初めて本を書いた。彼が知っている父・横山やすしは、人々が知っている横山やすしとはまったくの別人。家で子どもに手を上げたことはたった一度だけ。家では非常にやさしい男だった。一八が聞いたやすしの最後の言葉は「愛人の面倒をよろしく」だった。誰も知らないその矛盾に満ちた横山やすしの生涯とは?」そのエッセンスを紹介しよう。
・うちでは「うそ」は「殺人」より、いかんことだ。理由は、「 うそ」は自己防衛えつく場合がほとんど。要するに、 自分を守るためだけにうそをつく。だけど、「殺人」 はやむにやまれぬ理由がある場合がほとんど。 理不尽に人からおいつめられたり、 家族や仲間を守るために殺人を犯してしまうことも多い。だから、 無差別殺人は別だが、うちでは、殺人よりうそのほうが罪は重い。 しかし、親父はそのルールから自由だった。親父の浮気のことだ。
・稼ぎのピークは、「30分の漫才で、二人で1500万円」。 一人750万円。当時の大卒の初任給が10万円強ぐらいだから、 それを親父は25秒ほどで稼いでしまう。 年収は3億円は超えていたはずといわれているが、 収入より多く使っていたことは間違いない。
・親父は酒に弱い。外では酒が強いように見せていたが、 それは酒が強いといわれる横山やすしを演じていただけだ。 親父が一人で酒を飲んでいる姿をほとんどみたことがない。 ボート仲間や芸人やお客さんが来たときは別だが、それでも、 酒を飲んでもひとしきり騒ぐと、すぐに寝てしまう。
・(ビートたけし)「やすしさんが、 夜中に電話をかけてくるんですよ。そばまで来ているからと。 そしてお金持ってないか聞いてくる。 僕は少々ならと言って10万円を持って家から出ると、 やすしさんが家の前で待っている。そして、 お連れの人が後ろに立っている。『お前それしかないのか、 貧乏だなあ』と7万円をその人に払って3万円を返してくれる。」
・(木村政雄)「久米宏さんは凄い人です。 天才と言ってもいいと思います。私は、 やすしさんが降板したのは、 やすしさんが久米さんにしゃべりで負けた結果だと思います。 やすしさんは、 どんな人とでもしゃべりには勝てる自信があったし、 勝たなければならないと考えていたと思います。それが、 久米さんに会って揺らいでしまった。しかし、やすしさんは、 本来しゃべりで久米さんに勝ちたかったはずです。 もうやり尽くしたと思ったのでしょう。 最後には番組をすっぽかすのですから、 これ以上の芸はありません」
・親父が晩年、酒に酔って帰ってくたとき、 トイレに座って泣きながら「もうつかれたわ、 横山やすしをやめよかな……」と言っていたのを忘れられない。 お母さんも、親父が「もうしんどいわ、普通に戻そうかな」 と言ったことを聞いている。破天荒なキャラクターで、 やんちゃで酒好き。世間が親父に求めたことだ。しかし、 年を重ねるにつれ無茶はできない。 だましだましやってきたことも、できなくなってくる。 親父もキャラを変えるべきだったのかもしれない。 普通に戻すキャラもありだったかもしれない。 好々爺になってもよかった。 ちょっとやんちゃなご意見番な親爺でもよかった。しかし、 それが親父にはできなかった。破天荒なまま、「やす・きよ」 漫才の横山やすしのまま、親父はこの世を去った。
・僕は日本中のしているヤクザの親分たちに電話をして、 親父の犯人捜しを依頼した。そして、2時間後、 犯人の実像とその背景まで探り出した。誰が黒幕かもわかった。 しかし、読者には申し訳ないが、一生、口外することはない。 それは、親父との約束だ。もちろん、 親父は誰が犯人か知っていた。そして、 その犯人に名前を一切口に出すことなく、3年半後に亡くなった。 警察がわからないわけがない。
・弔問客のなかには、 全国の親分たちの使いで来た若い衆もたくさんいた。 その親分たちは、 みな香典がわりに親父の借金を帳消しにしてくれた。 総額17億円!!この借金の額自体もビックリだったが、 その証文を目の前で破ってくれたことにも驚いた。 その気風のよさに頭が下がった。
今は、こんな芸人さん、いないよね。ハチャメチャなところに憧れる。お笑いファン必読!オススメです。(・∀・)