最相葉月さんの 『絶対音感』は、良かったなあ〜!♪ 「流し」のワタシは、「耳コピ」ができるんだけど、絶対音感はないんだよね。「相対音感」なんだよね。「絶対音感」を身に付けることがメリットばかりじゃない!ということを知りました!♪
さて、この本。次なるテーマは、〈心の病〉だった――。河合隼雄の箱庭療法を試み、中井久夫から絵画療法を受け、自らもカウンセリングを学んだ。心の治療のあり方に迫り、セラピストとクライエントの関係性を読み解く。そして五年間の取材ののち、〈私〉の心もまた、病を抱えていることに気づき……。現代を生きるすべての人に響く、傑作ドキュメンタリー。文庫版特別書き下ろし「回復の先に道をつくる」を収録」そのエッセンスを紹介しよう。
・カウンセリングが戦後の日本に持ち込まれてから、 まもなく65年になる。それは、 心の声に耳を傾けるとはどういうことかという問いの元、 セラピストたちが手探りで歩いてきた歴史である。 他社の苦しみへの責任を問うために、 自らを律する訓練を重ねてきた時間でもある。
・60年代、統合失調症(以前の精神分裂病)の患者のうち、 自然に絵を描く人の比率は2%ぐらいといわれていた。ところが、 精神科医・中井久夫が受け持つ統合失調症の入院患者では、80% を超えていたという。これは、きわめて稀なことである。 紙を渡し、ここに自由に絵を描いてみてくださいといわれても、 統合失調症の患者には容易ではないためだ。それなのに、描く。 なぜそんなことができるのだろう。 もしなんらかのテクニックがあるのだとしたら、 それはどのようなものなのか。 そもそも絵を描くことがどうして治療になるのだろう。 実際に自分がそれを体験することで感じとることができるならば、 と考えた。さあ、そろそろ書き始めてみようか。この5年間、 おずおずと歩き回った心理療法の界隈について、 私が見たカウンセリングの世界、守秘義務という傘の下にある、 人と人との交わりと沈黙についてー。
・臨床心理士でも、彼らの経歴をのぞくと、 自分がどの学派を学び、誰に師事し、どの療法が専門、 と記す人が多くて首を傾げてしまう。 音楽家や料理人ならまだしも、 人の心が向き合うのになぜ師弟関係が必要なのか。 なぜ特定の学派を打ち出す必要があるのかさっぱりわからなかった 。
・箱庭とは、クライエントが一人で作るものではなく、 見守るカウンセラーがいて初めて、 その相互作用によって作られるもの。ドラ・ カルフがローエンフェルトの世界技法を箱庭療法へと発展させるに あたって明確に打ち出したのは、 治療者と患者の関係の大切さだった。 どんな表現が行われても受容しようとする治療者の安定した姿勢が 箱庭の表現に影響を与える。カルフはこれを「母と子の一体性」 と表現し、「自由にして保護された空間」 を治療者と患者の関係性の中で作り出すことが治療者としての任務 であると述べている。私自身、 初めて町のクリニックで箱庭を作ったとき、 その瞬間まで考えても見なかった、 自分の幼い頃の神戸の風景が目の前に展開されたことが不思議でな らなかった。一人で箱庭に向き合ったとしても、 何時間経ってもそんな光景を作るとは思えなかったからだ。 箱庭とはいったい誰が作るものなのか、私なのか、 カウンセラーなのか、カウンセラーがいたからできたとして、 では、 別のカウンセラーならまた違う箱庭ができるのかどうかも気になっ た。
・言葉だけでは表現できないものがあった場合、 言葉にしてしまうことで削ぎ落とされてしまう。言葉にできないもののほうが大事かもしれないのに、 言葉になったことだけが注目されて、 あとは置き去りにされてしまう。箱庭療法はつまり、 言葉にしないことに意味があるということなのか。では、 言葉にしないことでなぜ回復につながるのだろうか。患者がいて、 そばで見守る治療者がいて、共に箱庭を鑑賞する。 そんな日々を重ねるだけでなぜ人が治るのか。そもそも治る、 回復する、とはどういうことなのか。
・「あなたもこの世界を取材なさるなら、 自分のことを知らなきゃならないわね」
・カウンセリングでの話の内容や筋は、実際は、 治療や治癒にはあまり関係がないんです。それよりも、 無関係な言葉と言葉の「間」とか、沈黙にどう応えるかとか、 イントネーションやスピードが大事なんです。
・悩める人のそばにいて、ひたすら話を聞く。 うちひしがれている人のそばにいて、共に悲しむ。 道に迷い前にすすめなくなった人の言葉にただ耳を傾ける。 人と人とのそのような交わりは、人間の歴史と共にあった。 宗教がそれである。暗闇の中にいるひとの苦しみに寄り添い、 絶望の淵から救うために宗教は生まれた。
「近年のクライエントの変化」は、まさに現代ならではだね……。心の病も変化するんだね、オススメです。(・∀・)