「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「たけちゃん、金返せ。浅草松竹演芸場の青春」(藤山新太郎)

ワタシが高校生のころ、漫才ブーム全盛だった。すごかったよね〜!ツービート、B&Bザ・ぼんち紳助・竜介などなど。そしていまでも活躍しているお笑い界のトップはビートたけしだ。彼が売れる前ってどんなだったのだろう!?その答えがこの本にあるっ!(・∀・)
 
 
ツービートの誕生秘話──。若き日のビートたけしと、ハチャメチャで愛すべき芸人たち。テレビ時代の寵児となるまで、マジシャンの著者と共に「たけちゃん」が過ごした6年の青春譚」
 
 
・はじめに申し上げなければならない事があります。私は北野たけしさんに金を貸しているます。5万3千円です。当時二十代だった私にとっては、一か月の生活費に匹敵するほどの大金です。なぜ貸したかは本文を読んでください。松竹演芸場でたけしさんの才能にほれ込み、当時、数少ないたけしさんの理解者の一人となりました。当時は四面楚歌だったツービートを支援し、ツービートの普及協会会長を自ら任じていました。
 
・六年間、松竹演芸場の楽屋や、舞台を共にし、終わるといつも酒を飲んで過ごしてきたのです。そんな私がたけしさんを悪く書くはずがないでしょう。ヘークショイ。この間の六年は何にも代えがたい充実の日々でした。なぜなら、あの北野たけしを独占し、毎日一緒に酒が飲めたのですから。
 
ツービートの漫才はつながりがない話が延々と続く。ストーリーなんて全くない。たけちゃんの一方的な機関銃のような喋りが続くだけ。その喋りもお世辞にもうまい喋りではなく、口がもごもごして、滑舌が悪い。芸の味わいなて全くない。ボケと突っ込みの区別もない。そもそもきよしさんがボケない。突っ込まない。これは漫才とは言えません。ところがツービートはすごい。腰を曲げて笑ってしまう箇所が何度もありました。
 

私はたけちゃんの暗さが好きです。この人はジキルとハイドのような二重人格なところがあって、舞台のたけしはたけちゃんの理想の姿。普段の内省的なたけしは、たけちゃん本来の姿です。普段のたけちゃんは地味で、劣等感の塊で、実に細やかな人監察をする人で、つでも心の中で面白いことを考えています。たけちゃんはいつも、舞台を終えると大量に汗をかいて、楽屋でしばらく放心状態になっています。
 
・前の晩、終電近くまで私と一緒に呑んでいたのに、翌朝には台本を書き上げています。「家に帰ったら、寝られないから書いたんだ」
 
・いろいろ監察していると、あの人の仮面は喋りなのだと気づきました。出番前にネタを暗唱するところから仮面の準備が始まり、ひたすら喋り続けることが仮面になっています。それゆえにたけちゃんの喋りは隙間なくびっしり笑いで固めなければなりません。ネタが止まったり、素になったりすると、たけちゃんの笑いは機能しなくなります。自分の体に、やくざや、ブスや、ババァ、うんこのネタを塗りたくることによって自分の姿を隠していますところが、喋りを間違えたり、漫才を終えたとたん、たけちゃんの法力が消え、たちまちしゅんとなって楽屋ででれーっとするのです。
 
確実にたけちゃんはセントさんのキャッチコピーの影響を受けています。その後
ツービートが得意とするようになる交通標語とキャッチコピーの混はセントさんの影響でしょう。また、漫才のなかに時々難解な語彙や、業界の専門用語をふりかけ程度にばらまいて、漫才をボヤッと聞いている客に、適度な刺激を与える効果はセントさんの得意技で、この後、たけちゃんも使うようになります。これによってたけちゃんの漫才が単なる馬鹿ネタでなくなり、知識層に浸透していく切り口になります。
 
・舞台が終わると毎晩、ご贔屓のお客さんか、親父か、たけちゃんと呑みに行きました。たけちゃんは呑んでいても、ネタを考えています毎日一緒にいるとネタが練られてゆく過程が分かります。たけちゃんにはネタを膨らませる黄金律があります。
 
・連日たけちゃんと親父の間に入って二人の様子を見ていると、自分の生き方に自信が持てなくなってきました。そもそも真面目な芸人という目標そのものが間違っていないか。一体真面目な芸人というのは、世の中の何の役に立つのだろうか。芸人というのは面白くばかばかしく生きるから人が追いかけてでも見たいのではないか。むしろ、親父やたけちゃんのように、己の欲のまま、ありのままに生きることの方が芸人として優れてはいないか。
 
たけちゃんが笑いを作る才能は大きく二つあります。一つは、クラスの優等生のごとく、几帳面に勉強をこなす才能。もう一つは、人が思いもよらない発想で切り込んででくる意外性です。多くの人を驚嘆させるたけちゃんの才能はこれでしょう。たけちゃんは、自分自身が野次馬の立場あることを崩しません。レンズの切替が自在にできるのは、たけちゃんが話にのめり込まないからです。たけちゃんは、今話している話に興味がないのです。話はギャグを仕掛けるための罠に過ぎません。
 
才能があったらから売れたというのは短絡的な考え方です。初めから才能の塊でした。それがなぜ演芸場で6年、フランス座で4年、合計10年も足踏みしなければならなかったのか。それは、単に頭がいい、才能があるというだけでは世の中生きてはいけなかったからでしょう。たけちゃんが悩み苦しんだ中から何をどう掴んでいったのかということこそ重要で、たけちゃんが自分と世の中の接点を模索して、一つひとつ答えを出していったことこそ成果なのです。
 
結果として、漫才を辞めたい、死にたいと思ったすぐ背後には常に、とてつもない成功が待っていたのですが、わずかな成功の糸口が掴めないばかりに、延々苦しんだのです。私にとっては売れた後のたけちゃんよりも、日々葛藤し続けていた、たけちゃんこそ魅力を感じます。その姿を知っていることそが私の宝物です。
 
 
「頭ケンの親父コーナー」「佐々木つとむ」「一六酒場(捕鯨船」「やくざ社長がやって来る」「B&B星セント・ルイス」「NHKに突っ込む騎士の巻」「漫才やめて坊主になるの巻」「Wヤング中田治雄の自殺」など。

 

なつかしい。と同時に、80年代前半の、ワタシの青春時代を思い出す。youtubeでツービートの漫才を見ちゃいました。いまでもオモシロイっ!オススメです。(・∀・)