♪〜笑えることが〜年をとるたびに〜少なくなっていくようだ〜♪ と永井龍雲が「悲しい時代に」に歌ったのが80年代前半。毎日、毎日「コロナウィルス」のことばかり。こんなときこそ笑わなきゃ!♪(・∀・)
「好奇心旺盛の「ショージ君」が色々な教室に1日入門。
・明智クンもホームズクンも、私立探偵、 ということになっている。この「私立」 というところがなんともいえずいい。けなげな感じがする。 これが「公立探偵」ということだったら、 彼らも今ほどの名声は得られなかったにちがいない。
・モデル、という字はモテルという字に似ている。 この説に異論のある人はいまい。「 モデルとモテルは似ているからモデルはモテル」 この説に異論のある人もいまい。 この理路整然とした理論に異論をとなえる人はいないはずだ。 そしてまた、モデルはモーテルにも似ている。モデル、モテル、 モーテル。この三つの単語をじーっと睨んでいると、 そこにこの三者の怪しく、まがまがしい相関関係が、 まざまざと浮かびあがってくるではないか。ワットは、 ヤカンが沸騰するのを見て蒸気機関を発明したそうだが、ぼくは「 モデル」という単語をじーっと見ていて「モデル、モテル、 モーテルの理論」というのを発見したのである。
・ぼくはテニスには抜きがたい劣等感を持っている。 道を歩いているときでも、 テニスのラケットを小脇に抱えている人に出会っただけで「 もうダメだ」と思ってしまう。「まいった」 と観念の眼を閉じてしまう。犬や猫などは、 とてもかなわぬ相手に出会うと、ひっっくり返って四肢を拡げ、 ハラを見せることによって恭順の意を表するという。 ぼくも道の真中にひっくり返って四肢を拡げ、 シャツを掻き拡げてハラを見せたい衝動にかられる。 それぐらいまいってしまうのである。
・自由業というのは一見自由にみえて少しも自由ではない。 だれかが「昼間おふろに入れるぐらい」の自由しかない、 といっていたがそのとおりだと思う。働いている時間だって、 サラリーマンの方より多いと思う。 週休二日などとんでもない話で、 一年を通じて休めるのは日曜日だけである。祭日もちゃんと働く。
・ぼくは、腹這いになって食べるとき、 一番おいしいと感じるのである。畳の上に新聞紙を拡げ、 その上にいろいろな食品を並べ、腹這いになって食べる。 いってみれば、新聞紙が食卓ということになる。
・ぼくは馬は食べたことはあるが乗ったことはない。「 乗馬経験ぜんぜんないんですか」「ぜんぜんないんです。 強いていえば、 スーパーの入口などに設置されている十円玉を入れるとガタガタ動 くやつ、あれなら乗ったことがありますが、 あれを乗馬経験といってよいかどうか」
「探偵学校の巻」「モデル学校の巻」「バレエ学校の巻」「 懐石マナー教室の巻」「指圧学校の巻」など。
これ、1979年初版だから40年以上前の本だよ。トーンが変わらないのはさすが!超オススメです!(・∀・)♪