一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝」(大橋巨泉)

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ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝

ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝

 

ワタシが子どもの頃からテレビで大活躍していた大橋巨泉さん。ちょうどワタシの父とほぼ同い年なので、彼を見ると父を思い出す。父の人生とオーバラップするのだ。(・∀・)

「『11PM』『ゲバゲバ90分!』『クイズダービー』『HOWマッチ』テレビがとてつもなく面白かった時代の秘話満載、渾身の書き下ろし!「芸能界の生き字引」著者初の本格自伝」そのエッセンスを紹介しよう。

 
オウム真理教の事件が起こって以来、マインドコントロールということが問題にされるようになったが、われわれ昭和ヒトケタ生まれの少年が受けた、皇国史観によるマインドコントロールほど強烈なものはなかったろ。我が国は神国であり、永久に不滅である。敵が攻めてきても、元寇のように最後は神風が吹いて全滅する、と本気で信じていたのだから、すごいコントロールである。
 
・1945(昭和20)年になると戦局はますます悪化し、主食はほとんどカボチャかサツマイモという状況になった。あとはうどん粉のだんごを汁に入れたすいとんである。この三つのうち、カボチャとすいとんは、少なくとも戦後40年以上、ボクは食べられなかった。(同級生の笹本は今もって食えないと言っていた)
 

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価値観の180度転換というのは、ある特定の時代に生まれないと起こらないことだろう。ボクには起こった。これがボクをして戦後民主主義者として生きさせている原点である
 
・ボクが再び東京の土を踏んだのは、1947(昭和22)年になってからである。やはり「帰ってきた!」という思いが強かった。東京の下町ーそれはボクが所属すべきところであった。みんなが商売をしていて、人情があったぐずぐずしない、ねちねちしない、ハッキリ物を言う今もってボクの人生を律しているのは、この下町コードである。
 
・中学時代から続けていた俳句は、ますます熱心になり、1950年春には「巨泉」という俳号を名乗っている。これはイデアが尽きないように「泉」をイメージしより大きな泉には熱烈な巨人ファンであったボクには「巨」の字がぴったりであった。この俳号はそのままジャズ評論家や放送台本のペンネームとなり、さらにテレビタレントとしての芸名?にまでなった。よくボクに対する悪口として、体や声もでかいが、態度や名前まででかいというのを聞いたことがあるが、事実はこの名前は少年が一人で考えたものである。
 
・ボクの高校時代をひと言で表せば「学術優秀、品行不方正」である。ボクの品行にはいつも「不」がついていた
 
・今どきのプロデューサーは、まずタレントありきで、タモリをつかまえる、たけしをおさえるから始める。そしてタレントに合った台本をつくらせる。井原高忠さんは、まず作家に面白い本を書かせ、それに合ったタレントを探した。この差は実に大きい。近年のテレビに面白い番組が少ないのは、実はここに起因していると思っている。台本に金をかけないで、くだらないタレントがアドリブに頼っているから、我が国のテレビのショウは下落の一途なのだ

 

やっぱり巨泉さんってスゴいね…。自分の好きな世界で生きてきた。憧れるなあ。超オススメです。(・∀・)

 

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ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝

ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝