「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい」(森達也)

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刺激的なタイトルに惹かれて読みました。いい意味でイメージとは違う中身だったなあ……。さすが森達也さんっ!!!

 

死刑存続論者の多くは、「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と言う。しかし、著者は問う。「自分の想像など被害者遺族の思いには絶対に及ばない。当事者でもないのに、なぜこれほど居丈高に、また当然のように死刑を求められるのか?」本書は、死刑制度だけでなく、領土問題、戦争責任、レイシズム9・11以後、原発事故、等々、多岐にわたる事象を扱う。日本に蔓延する「正義」という名の共同幻想を撃つ!」そのエッセンスを紹介しよう

 

・苦しんでいる人、力の弱い人、声の小さな人、助けを求めている人に代わって声をあげること、あるいは支えること、訴えることは大切だ。それを否定するつもりはない。でも大切な人を失った気持ちを、自分が100%共有できるはずがない。代わって声をあげながら、その後ろめたさをしっかりと意識することも必要だと僕は思う。だって本当に大切にすべきは、自分の気持ちではないのだから。
 
「死刑制度がある理由は被害者意識のため」と断言する人たちに僕はこの質問をしてみたい。
 
もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽くなってもよいのですか。
 
つまり命の価値が、被害者の立場や環境によって変わる。ならばその瞬間に、近代司法の大原則である罪刑法定主義が崩壊する。自分の愛する人が消えた世界について、確かに想像はできる。でもその想像が、被害者遺族の今の思いをリアルに再現していると僕には思えないあなたはその思いを、自分は本当に共有していると胸を張れるのだろうか。ならばそれこそ不遜だと思う。
 
・もしもあなたがラーメンを作るプロならば、自分が作ったラーメンを何度も食べて味をチェックするはずだ。音響ホールを設計するプロならば、コンサートにはできるかぎりチェックするはずだし、自分が設計したホールの音の響きを何度も確認するはずだ。裁判官は死刑判決を下すかどうかを判断するプロフェッショナルだ。ならば死刑判決を下された人たちが、どのように執行されるかを知らなければならない。「ある程度の苦痛やむごたらしさはやむを得ない」と法廷で宣言するのなら、どの程度に苦痛を感じていると推量できるのか、どの程度いむごたらしいのか、それを知らなければならない自分が体験することは無理だけど、せめて現認しなければならない。
 
ノルウェー国内の年間の殺人事件は総数で30件前後。ただしそのほとんどは過失や傷害致死で、殺意ありきの殺人事件は、確かに年間に数件だったこのときはさすがに驚いた。だって国全体でこの数値なのだ。(日本は500件)
 
オスロ観光の一つシュフース城塞にいく。小高い山の頂上。柵がまったくない。落ちれば横は崖。「なぜ柵をつくらないの?」「事故がないからでしょう。もし子どもが落ちたとしても、それは子どもの手を離した親が悪いということになりますね」
 
なぜノルウェーでは厳罰化が進まないのか?「犯罪者のほとんどは、幼年期の愛情の不足、生育期の教育の不足、そして現在の貧困という背景のうちどれかを抱えています。彼らの多くはこれまでの人生で十分に苦しんでいます。それなのに新たな苦しみを与えても意味はない。人生への希望と愛情、そして正しい教育を身につけてもらうことが罰なのです」「でも、その3つが不足していないのに犯罪を起こす人もいます」確かに少数ではあるが、そういう人もいます。でもならば彼らに罰を与えても意味はない。この場合は治療しなければならない」ノルウェーには死刑も終身刑無期懲役もない。最高刑は禁固21年。っどんなに凶悪な事件の加害者としても。これ以上は求刑されない。
 
ノルウェーには死刑がない。人間は苦しみを与えてはならず、その命が他の目的に利用される存在される存在であったはならないと考えるからです。今も死刑を行っている国は、すべての国民に「殺人で問題は解決する」というメッセージを与え続けていることになります。これは間違っています。犯罪者の命を奪っても犯罪は撲滅できません。残された憎しみと悲しみが増えるばかりです。ノルウェーに死刑がないことを、私はノルウェー人として誇りに思っています
 
・大きな事件や事故があってしばらくが過ぎた頃、風化させてはならないとのフレーズをよく耳にする。気持ちはわかる。でもそれは無理だ。あらゆることは風化する。それは当たり前のこと。ものは壊れるし人は死ぬ。悲しみも怒りも、年月の経過とともにどんどん薄くなる。ひとはそのようにできている。風化は当たり前だし仕方がない。問題はどのように風化するかだ。言い換えれば、事件や事故をどのように解釈したかだ。なぜならそれが歴史になる。
 
「なぜ人間にはこれほど鋭敏な味覚があるのか」「この社会がハンセン病患者に強要した、無知で残虐な処置」「メディアを媒介に広がる「がんばれ」そのグロテスクさになぜ気づかない」「どう考えてもおかしい。スリッパを重ねる意味は何だろう」「本人がいて、運転免許証もある。それなのになぜ印鑑が必要なのか」「ごめんなさい。原子力安全神話は僕たちが形成した」「「叫びたし 寒満月の割れるほど」獄中で詠まれたあまりにも悲痛な歌(福岡事件)」「今やボールペンを持っているだけで逮捕されるもかもしれない」「刑事罰を寛容化したノルウェー。治安が向上した理由は何か」「不安と恐怖に煽られて歯を剥き出す犬に、石を投げつけてどうする」「元日本軍の証言。日本軍は中国で何をしたのか(絵鳩毅)」「オオカミが来たと言い続けた少年は、本当にオオカミが来たと思いこんでしまった」など。

 

ノルウェー!すごいなあ!!!ワタシも個人的には日本も死刑廃止にむかえばいいと思っています。どのページも実に考えさせられる。オススメです!(・∀・)

 

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