酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」(矢崎泰久編)

    


永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 (集英社新書)



中学生のときにラジオ番組に投稿を始め、放送作家への道を歩み始めた永六輔は、やがて戦後放送文化のトップランナーとして新しい時代の価値を次々と生み出していく。その道程で出会い、学び、繋ぎ、そして見送ってきた多くの先輩や仲間たち。渥美清三木鶏郎小沢昭一野坂昭如、中村八大、いずみたく三國連太郎美空ひばり井上ひさし…皆に共通していたのは、自由と平和への希求、そして反骨の心意気だった。半世紀にわたり永に伴走してきた盟友・矢崎泰久が、本人に成り代わって活写した、永六輔と彼らの熱い交わり。それは、不透明な時代を生きる私たちに知恵と勇気をくれる「昭和からの伝言」である。そのエッセンスを紹介しよう。


・早くにいろいろやった永さんは、若くして有名人になってしまった。これが本当はとても嫌だった。実は有名人というのが、もともと大嫌いだったんです。つまり普通の無名人というものに、ずっと憧れて生きてきた。この本の生い立ちは、永六輔の心の中にいつしか棲みついてしまている有名人の話でもあります。


渥美清



平成8(1996)年に渥美ちゃんが亡くなってもう20年になります。東日本大震災の被災地を訪ね歩いたとき、瓦礫の山と化した現地で渥美ちゃんを見かけました。あの戦争の爆撃によって、焦土となった東京の下町で共に生きてきた仲です。その記憶が蘇り、渥美ちゃんの姿が見えたのかもしれない。もちろん震災の瓦礫の中、立ち話をしたわけではありません。人影を見て、あっ、渥美ちゃんと思っただけです。街中で渥美ちゃんに会うことも多くなりました。あっ、渥美ちゃんと思って声をかけようとすると、すっと消えてしまう。今まで僕は、渥美ちゃんのことをどこにも書いたことはありません。それだけ親しかったということです。


淀川長治



「永くん、自分でお金を稼ぐようにあったら、横浜のホテルニューグランドに行ってステークを注文しなさい。どんなに味が違うか分かるから……」なかなか切れないステーキと格闘している僕に、淀川さんは目を細めて笑いながら言ったんです。これが淀川流の教育でした。あの人はなでも一流が好きだった。世界一ならなおいいです。一流のものならクラシックからボクシングまで。世界一強い人、世界一美味しいものに目がなかった。「映画を観る前に、歌舞伎を見なさい。寄席に行きなさい。一流のものなら、なんでも興味を持ちなさい」若い僕らによく言っていました。さらに凄いのは、一流のものを理解するためには、最低のものも見たり食ったりしなければ分からない。そう教えてくれたことです。ご本人はそれをちゃんと実践していました。


ある年の誕生日に「大先輩の淀川さんに、ごちそうしよう」僕が言い出して淀川さんの家を訪ねたんです。そしたら「誕生日に一番大変だったのは、産んでくれたお母さんでしょ。だから、誕生日というのはお母さんに感謝する日なの。ごちそうするのはお母さんです。もし亡くなって誘えないならお墓参りに行きなさい。そんなことも分からない奴らと食事なんかしたくない」淀川さんは真剣な顔で叱った。「すみませんでした」お説ごもっとも、と引き上げました。


その他、岸田今日子」「三木鶏郎の伝説」「三木のり平」「中村八大の才能」「中年御三家(小沢昭一野坂昭如永六輔)の反戦」「やなせたかし」「住井すゑ」「宮本常一」「水上勉」「井上ひさしなど。


昭和はよかったねえ……。平成も来年で終わりだねえ……オススメです。(・∀・)


    


永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 (集英社新書)