「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「懐かしの球場 関西編」(写真 産経新聞社)

.


懐かしの球場 関西編


前回紹介した懐かしの球場の関西編。子どものころは、阪急ブレーブスの全盛時代。西宮球場に一度は行って見たかったなあ!


甲子園、大阪、藤井寺、日生、西宮・・・。プロ野球ファンならば、忘れられない関西の球場産経新聞が所蔵する貴重な写真資料から、スタジアムを揺らしたあの熱狂が今、よみがえる!!昭和の名場面を中心にお宝写真約200点を収録したプロ野球ファン必見の写真集」その印象的な写真を紹介しよう。


甲子園球場



完成した新球場 大正13年1924年

武庫川にお支流であった枝川、申川(さるがわ)をうめ立てて、球場が出来たのがよくわかる。(阪神電気鉄道株式会社提供)



手書き作業の「1」昭和51年(1976年)
手書き作業や得点ボードを入れたり、と重労働をこなしていたスコアボード担当の裏方さん


西宮球場



祝100年 昭和47年(1972年)
日米野球が100年を迎え、スタジアム正面では大きな横断幕を揚げ祝った。



球場の終焉 平成16年(2004年)
かつて歓声が響いた球場は、工事車両の冷たい作業の音にかわった。


藤井寺球場



住宅街にスタジアム 昭和48年(1973年)
球場のまわりは住宅でいっぱい。住民の反対でナイター設備はまだない。



夢の舞台 平成元年(1989年)
夢にまで見た日本シリーズが4試合行われた。


日生球場



昭和36年(1961年)
フェンスがなく見通しのよい外野からは、大阪城が見られ選手も間近に見える。



広い内野席 狭い外野席 昭和55年(1980年)
広々とした内野スタンドに比べ狭さが目立つスタンド。場外ホームランの方が多かったとも?


大阪球場




なにわのど真ん中 昭和36年(1961年)
巨人との日本シリーズ開幕へ…続々とスタジアムに集まる人たち



汗と涙の詰まった土 昭和63年(1988年)
ファンに無料で提供されたグラウンドの土



別れの球団旗 平成10年(1998年)
南海の球団旗を振って、スタジアムとの別れを惜しむファン


南海ホークス近鉄バファローズもないんだよねえ……虚しいなあ…そして懐かしいなあ……昭和のプロ野球ってよかったよね。野球ファン必見!オススメです。(╹◡╹)



.


懐かしの球場 関西編