「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「エッシャーが僕らの夢だった」(野地秩嘉)

   


エッシャーが僕らの夢だった



昨年、そごう美術館で開催された「視覚の魔術師 エッシャー展」。いや〜すごかった〜!ナマで見られてよかった〜〜!!!\(^o^)/


ミック・ジャガー磯崎新中村桂子羽生善治…たくさんの著名人に愛される異端の版画家M.C.エッシャー。彼の世界最大のコレクションが、日本にあるのは何故なのか?アウトサイダーとしての生き方を選び、エッシャーの絵に魅せられ東京で夢を追い続けた3人の男たちの青春群像。60~80年代を舞 台とした、心を熱くさせる物語」そのエッセンスを紹介しよう。


エッシャーのコレクションを買った日本人の話なのだ。その日本人とは甲賀正治である。DCブランド「ニコル」の専務だった人である。1986年に7億(9億とも書かれている)円のこのコレクションは総計800点で世界中のあるエッシャーのコレクションの3本の指に入る規模なのである。この甲賀正治が実に魅力的なのだ。そしてこの話を持込んだ画商の新藤信もまた。二人の間を繋いだのがあの松山猛というところも面白い。


エッシャーは社交嫌いで、バッハの音楽を聴く以外は趣味も持たなかった。仕事に没頭するため家族が話すことさえ禁じたいう。そのせいか、彼の妻は三人の息子が成長した後、スイスの実家へ移り、息子たちもすべてオランダを離れた。彼が高齢者住宅で息を引き取った時、家族は誰も駆けつけるなかった。彼にはただひとりの弟子もいなかった。彼の作品にインスパイアされた作品を作ったアーティストは多いが、作風を継承した版画家はいない。



作品を見た記億はあっても、作者の名や、ましてはその生涯に関心を寄せる人はそれほど多くはない。また、だまし絵という評価が先走ったこともあり、彼の存在は美術史においては消されている、もしくは異端の作家として扱われている美術評論家が論ずる対象ではなく、美大の学生が研究テーマに取り上げる作家でもない。そんな「奇妙なグラフィックデザイナー」くらいにしか思われていなかったエッシャーの作品に目をつけ、誰よりも評価したのは1960年代以降、アメリカのヒッピーやロックミュージシャン、そして学生たちだった。



・日本でそれまでひと握りの人間しか認知していなかったエッシャーの版画を少年マガジンの読者である少年や若者たちの脳裏に刻み込んだのは、まさしく大伴昌司だ。「これは読む絵です。時間とともに新しい発見があるから何時間でも眺めていられる。映画か音楽のようにイメージが連続してゆく絵だ。こんな緻密な仕事を大量にやって、独自の様式を作り出すなんて……大変な作家だ。この絵に会えてよかった」



エッシャーの魔術とは、作品上に表現された不思議な図像のことではない。作品を見た者に激しい思い込みを持たせ、行動に走らせる……。彼の魔術とは、人々の心と関心をからめとってしまう力なのだと。



中でも、「美術館に行く習慣が根付いていない時代の美術館、美術展」「西武美術館の冒険」「観客が多すぎる」など。


いや〜〜この本を読んでから展覧会に行きたかったなあ。そうそう、少年マガジンにも載ってたよね〜懐かしいなあ。スゴイなあ。超オススメです。(・∀・)


   


エッシャーが僕らの夢だった