昨年、そごう美術館で開催された「視覚の魔術師 エッシャー展」。いや〜すごかった〜!ナマで見られてよかった〜〜!!!\(^o^)/
「ミック・ジャガー、磯崎新、中村桂子、羽生善治…たくさんの著名人に愛される異端の版画家M.C.エッシャー。彼の世界最大のコレクションが、日本にあるのは何故なのか?アウトサイダーとしての生き方を選び、エッシャーの絵に魅せられ東京で夢を追い続けた3人の男たちの青春群像。60~80年代を舞 台とした、心を熱くさせる物語」そのエッセンスを紹介しよう。
・エッシャーのコレクションを買った日本人の話なのだ。その日本人とは甲賀正治である。DCブランド「ニコル」の専務だった人である。1986年に7億(9億とも書かれている)円のこのコレクションは総計800点で世界中のあるエッシャーのコレクションの3本の指に入る規模なのである。この甲賀正治が実に魅力的なのだ。そしてこの話を持込んだ画商の新藤信もまた。二人の間を繋いだのがあの松山猛というところも面白い。
・エッシャーは社交嫌いで、バッハの音楽を聴く以外は趣味も持たなかった。仕事に没頭するため家族が話すことさえ禁じたいう。そのせいか、彼の妻は三人の息子が成長した後、スイスの実家へ移り、息子たちもすべてオランダを離れた。彼が高齢者住宅で息を引き取った時、家族は誰も駆けつけるなかった。彼にはただひとりの弟子もいなかった。彼の作品にインスパイアされた作品を作ったアーティストは多いが、作風を継承した版画家はいない。
・作品を見た記億はあっても、作者の名や、ましてはその生涯に関心を寄せる人はそれほど多くはない。また、だまし絵という評価が先走ったこともあり、彼の存在は美術史においては消されている、もしくは異端の作家として扱われている。美術評論家が論ずる対象ではなく、美大の学生が研究テーマに取り上げる作家でもない。そんな「奇妙なグラフィックデザイナー」くらいにしか思われていなかったエッシャーの作品に目をつけ、誰よりも評価したのは1960年代以降、アメリカのヒッピーやロックミュージシャン、そして学生たちだった。
・日本でそれまでひと握りの人間しか認知していなかったエッシャーの版画を『少年マガジン』の読者である少年や若者たちの脳裏に刻み込んだのは、まさしく大伴昌司だ。「これは読む絵です。時間とともに新しい発見があるから何時間でも眺めていられる。映画か音楽のようにイメージが連続してゆく絵だ。こんな緻密な仕事を大量にやって、独自の様式を作り出すなんて……大変な作家だ。この絵に会えてよかった」
・エッシャーの魔術とは、作品上に表現された不思議な図像のことではない。作品を見た者に激しい思い込みを持たせ、行動に走らせる……。彼の魔術とは、人々の心と関心をからめとってしまう力なのだと。
中でも、「美術館に行く習慣が根付いていない時代の美術館、美術展」「西武美術館の冒険」「観客が多すぎる」など。
いや〜〜この本を読んでから展覧会に行きたかったなあ。そうそう、少年マガジンにも載ってたよね〜懐かしいなあ。スゴイなあ。超オススメです。(・∀・)