「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「下山事件 最後の証言」(柴田哲孝)

   


下山事件完全版―最後の証言 (祥伝社文庫 し 8-3)


戦後史最大の謎といわれる下山事件。昭和ニ四年(一九四九)七月五日、初代国鉄総裁の下山定則三越本店で失踪。翌六日未明、足立区五反野常磐線上で轢死体となって発見された事件である。関連本をいろいろ読んだけど、この本が最後であろう。そして事件の真相がようやく明らかになった!!!(・o・)


半世紀を超えてついに核心に迫る親族の生々しい証言。「約束しろ。おれが死ぬまで書くな!」祖父の盟友にして某特務機関の総師は言った。真相を知る祖父の弟、妹、そして彼も没した今、私は当事者から取材したすべてを語ろう」その真相とは?そのエッセンスを紹介しよう。



・私の職業はジャーナリストである。その私が、なぜいままで下山事件について語らなかったのか。その理由は私をはじめ「私」の祖父、祖母、大叔母、母親などの血族が、ある意味で下山事件の当事者であったからに他ならない。だが、いま、私は語るべき時が訪れたことを知り、心を固めた。以下に書くことは私が知り得る限りの、我が血族と下山事件に関する真実である。



・柴田宏(ユタカ)。それが私の祖父の名だ。祖父は長身だった。痩躯だが肩幅が広く、大きな背中をしていた。私はその背中が好きだった。大叔母が奇妙なこと口走り始めた「本当は兄さんほど恐ろしい人は、いないんじゃないかって……あの事件をやったのはね、もしかしたら、兄さんかもしれない……」祖父とは何ものだったのか。そして事件の中で、どのような役割をはたしたのか……。


下山事件に関する一連の証言には、他の事件にはない特異性がある。状況描写が正確、具体性に富み、時間から服装、車の色や形状に至るまで、フィルムで撮影でもしたかのように緻密だ。人間の記憶力とは、はたしてそれほど優れているものだろうか


いったい何人の人間が関わっていたのだろう下山事件にのめり込んでいくと、次から次へと浮上する人名に途方にくれることがある。事件を計画した者、誘拐者、殺人犯、替え玉、連絡員、運転手、死体を運んだ者、捏造された証人、機関車に細工をした者からたった一本の電話をかけた者に至るまで、おそらく加担していた者は数十人にのぼるだろう。いや、無意識に事件に関わっていた者まで含めればその数は百人を越すにちがいない。なぜ、それほどまでに多くの人間が事件に関わりながら60年近くにもわたりその秘密が保たれたのか。理由のひとつは、徹底した役割分担にあった。だが、自分の役割がわかっても,事件の全体像は掴めない。もちろんその人間の間には、何人ものクッションが入っている。もしその人間が何らかの証言をし警察やマスコミがその細い糸を手繰ったとしても、いずれはどこかで途切れてしまう。もしくは、証人そのものが消されてしまう。


三菱、満州鉄道、731部隊まで出てくるとは……あまりに壮大だ。事実は小説よりも奇なりこれ、映画にしてほしいなあ。超オススメです。(・∀・)


   


下山事件完全版―最後の証言 (祥伝社文庫 し 8-3)