この本は読みたくなかったのだが、途中で読むのをやめようと思いながらも完読してしまった……。それくらい惹きつけられるものがあった……。
80年代末の日本を震撼させた連続幼女誘拐殺人事件。「今田勇子」の名で犯行声明まで出した犯人・宮崎勤の狙いは何だったのか。彼は本当に精神を病んでいるのか。事件には、驚くべきストーリーがあった。捜査資料と精神鑑定書の再検討、関係者への粘り強い取材が、裁判でも明らかにされない真相を浮かび上がらせる。事件は終わっていない。今も宮崎勤は自作自演の舞台に立ち続けている」そのエッセンスを紹介しよう。
・「とにかく、あの事件はショックの連続で、 今でも記憶が鮮明に残っているというか、 頭のなかにこびりついていて離れないんだ。当時、私の立場( 警察官僚)としては、(昭和)天皇陛下のご病状が悪くなられ、 その対応策に追われていた。もし、万が一のことがあれば、 世の中が激動し、何が起こるか分からなかったためだ。 あの事件は政治、思想とは無関係だったが、 そういう緊張感の中にあったせいか、何か “ 時代が変わった ”と感じさせるものがあった」A氏は長年、警察庁に籍を置き、 幾つもの名だたる事件の操作に関わってきた人物である。 1998年から89年にかけて、 埼玉県と東京都で4人の幼女が相次いで誘拐殺害された連続幼女誘 拐殺人事件(宮﨑事件)のことである。
・「宮﨑という男は、犯罪者として決して、 特異な人間ではなかった。それに、連続殺人犯が持っている、 ある種独特の “ 匂い ” もまったく感じられなかったしね。少なくとも逮捕当時は、 どこにでもいるような、 孤独で人付き合いの下手な若者の一人でしかなかったよ。 あの事件は、そんな “ ごくありふれた人間による普通の犯罪 ” だったんだ 。ただ、一つだけ違うのは、彼は役者であったということ、 つまり、我々操作関係者だけではなく、裁判官や弁護士、 そして家族の前でさえも、『犯罪』 という名のドラマを演じていたってわけださ」
・私がどうしても、あの事件が忘れられないのは、実は、 宮﨑の犯罪や彼自身のイメージが、“ 作り上げられたもの ”、つまり、虚像でしかなかったからなんだ。
・父親が投身自殺を図り、前進打撲で死亡したとき、 彼は胸を張って、こう答えた。「スーッとした。私を貰ったか、 拾ったかして、勝手に育てたのだから、 バチがあたったんだと思った」この予想外の言葉に一瞬、 絶句した弁護人が「 ご両親は拘置所に250回余も面会に通っている。 悲しくはないのか」と重ねて聞くと、彼は「その逆です。 悲しいとは思わない。死んでくれてスーッとした」 と言い放ったのである。それだけではない。 警察当局の取り調べに対し、父親だけでなく、 母親も呼び捨てにしていたのだ。あるいは「父の人」とか「 母の人」と呼んでいる。 もはや埋めようがないほどの深い親子の隔たりと、 砂漠のように乾き切った人間関係が感じられ、衝撃を受ける。 いったい、何があったのか。
・彼にとって、自分だけの貴重なビデオ作品を制作することと、 女性の性器を観察しあい、ほんの少しの性的興味( 彼にとってであるが)を満たすことが目的だったのではないか。 その根底には、 劣等感と孤立感に苛まられる宮﨑被告の強烈な自己顕示欲があり、 その象徴が、この自作ビデオだったように思えてならない。
・宮﨑被告は現実の世界を脱出し、 ビデオやアニメの世界に逃げ込もうとした。日本の学校教育や、 皆と違うことを行うのを許さない体質があり、 彼はそこでは生きてゆけなかったからだ。彼は学校や地域社会で、 常に排除されるのではないかという恐怖を抱いていた、 と言っていいだろう。映像世界は、 そんな彼にとってパラダイスになるはずだった。ところが、 ビデオで撮影し、記録すること自体が快楽であった彼は、 そこでも嫌われ、再び現実の世界へ戻らざるを得なかった。 その時、事件は起こったのではないか。警察関係者が「混沌( カオス)」と呼んだあの部屋で、宮﨑被告はいったい、 何を考えていたのか。宮﨑被告は警察でも、法廷でも、 遺体を撮影したビデオを「世界一の宝物」と言ったが、 彼にとって、本当の宝物とは何だったのであろうか。
・宮﨑被告は、「自分がやった非人間的な事件などと刑事さんに聞かされ、『早く本当の人間らしさを取り戻しなさい』と説得され、すべてを話し、被害者の両親に謝ろうと思った」と、自ら自供にういたる心境を語った供述調書まで存在している。
・弁護側が云うような強圧的な取り調べを行っていたとすれば、宮﨑はおそらく、何一つ喋らなかっただろう。宮﨑は力ずくで押してもダメで、逆に話しやすい環境を整え、パズルやクイズ、ユーモアに富んだ会話を行って、気分を乗せてやれば、スラスラとしゃべる男であることは、弁護側も鑑定人もよくご存知のはずでしょう。何しろ、狭山署の留置場では毎週一回程度、午後三時から『おやつの時間』があるのを知っていて、わざと重要な供述をその時間に合わせて行う。そして『おやつを食べるので留置場に戻して欲しい。この時間に食べないと食べ損なってしまう』と言って、休憩をとるような男なんだ。それが狡猾さではなくて “ 遊び ”なんだ。
・私は取材した結果、自分なりに得た結論をA氏にぶつけてみた。宮﨑被告は、両親らの不仲で家庭内が荒廃していたうえ、頼りにしていた祖父と「武にぃ」が去り、「一人ぼっち」になった。人間への絶望感は、父親の克也氏との相剋とも言うべき収集癖も手伝って、彼をモノへと向かわせた。ただ、狂ったように収集したビデオも、部屋の壁を積み上げることはできても、彼の魂の救済ににはならなかった。やはり人間はがいいー。ところが、自己顕示欲が強い半面、掌の障害や女性への劣等感から、自分の思うようにはいかず、結局ビデオ仲間にも追放され、無抵抗の幼女でさえモノとしてか扱えなかった。そんな彼が向かうのは、空想の世界でしかない。すべての犯罪は欲求不満から始まるというが、彼はそれを空想世界で解消しようとした。その空想とは、自分の思いのままに行動でき、楽しく “ 甘い気分に浸れる ” 空間であり、象徴だったのかもしれない。「ただ、一つだけ見逃していることがある。彼は、自分が『道化』にしかなれないことを、知っていたんだよ……」
・宮﨑被告は一度だけ涙をみせたことがあるという。「宮﨑は自分が『道化』を演じることでしたか、女性と付き合えない、いや、話をすることさえできないことを知っていた。掌の障害は遺伝するので一生結婚はできないと思い込み『道化』に徹しようと心に決めていたからだ。その苦悩を理解し、癒やしてくれるのは幼女だけだと思っていた。だから、一通り供述し終えた後、『僕だって、一度は主役を演じてみたかった』とポツンと一言漏らし、涙を流したんだ」A氏にはその涙は演技には見えなかったという。
犯罪史としても忘れてはならない。オススメしたくないけど、興味ある方はどうぞ!