「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「宮﨑勤事件 塗り潰されたシナリオ」(一橋文哉)

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この本は読みたくなかったのだが、途中で読むのをやめようと思いながらも完読してしまった……。それくらい惹きつけられるものがあった……。

 

80年代末の日本を震撼させた連続幼女誘拐殺人事件「今田勇子」の名で犯行声明まで出した犯人・宮崎勤の狙いは何だったのか。彼は本当に精神を病んでいるのか。事件には、驚くべきストーリーがあった。捜査資料と精神鑑定書の再検討、関係者への粘り強い取材が、裁判でも明らかにされない真相を浮かび上がらせる。事件は終わっていない。今も宮崎勤は自作自演の舞台に立ち続けている」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・「とにかく、あの事件はショックの連続で、今でも記憶が鮮明に残っているというか、頭のなかにこびりついていて離れないんだ。当時、私の立場(警察官僚)としては、(昭和)天皇陛下のご病状が悪くなられ、その対応策に追われていた。もし、万が一のことがあれば、世の中が激動し、何が起こるか分からなかったためだ。あの事件は政治、思想とは無関係だったが、そういう緊張感の中にあったせいか、何か “ 時代が変わった ”と感じさせるものがあった」A氏は長年、警察庁に籍を置き、幾つもの名だたる事件の操作に関わってきた人物である。1998年から89年にかけて、埼玉県と東京都で4人の幼女が相次いで誘拐殺害された連続幼女誘拐殺人事件(宮﨑事件)のことである。
 
・「宮﨑という男は、犯罪者として決して、特異な人間ではなかった。それに、連続殺人犯が持っている、ある種独特の “ 匂い ” もまったく感じられなかったしね。少なくとも逮捕当時は、どこにでもいるような、孤独で人付き合いの下手な若者の一人でしかなかったよ。あの事件は、そんな “ ごくありふれた人間による普通の犯罪 ” だったんだ 。ただ、一つだけ違うのは、彼は役者であったということ、つまり、我々操作関係者だけではなく、裁判官や弁護士、そして家族の前でさえも、『犯罪』という名のドラマを演じていたってわけださ」
 
・私がどうしても、あの事件が忘れられないのは、実は、宮﨑の犯罪や彼自身のイメージが、“ 作り上げられたもの ”、つまり、虚像でしかなかったからなんだ。
 
・父親が投身自殺を図り、前進打撲で死亡したとき、彼は胸を張って、こう答えた。「スーッとした。私を貰ったか、拾ったかして、勝手に育てたのだから、バチがあたったんだと思った」この予想外の言葉に一瞬、絶句した弁護人が「ご両親は拘置所に250回余も面会に通っている。悲しくはないのか」と重ねて聞くと、彼は「その逆です。悲しいとは思わない。死んでくれてスーッとした」と言い放ったのである。それだけではない。警察当局の取り調べに対し、父親だけでなく、母親も呼び捨てにしていたのだ。あるいは「父の人」とか「母の人」と呼んでいるもはや埋めようがないほどの深い親子の隔たりと、砂漠のように乾き切った人間関係が感じられ、衝撃を受ける。いったい、何があったのか。
 
彼にとって、自分だけの貴重なビデオ作品を制作することと、女性の性器を観察しあい、ほんの少しの性的興味(彼にとってであるが)を満たすことが目的だったのではないか。その根底には、劣等感と孤立感に苛まられる宮﨑被告の強烈な自己顕示欲があり、その象徴が、この自作ビデオだったように思えてならない。
 
宮﨑被告は現実の世界を脱出し、ビデオやアニメの世界に逃げ込もうとした。日本の学校教育や、皆と違うことを行うのを許さない体質があり、彼はそこでは生きてゆけなかったからだ。彼は学校や地域社会で、常に排除されるのではないかという恐怖を抱いていた、と言っていいだろう。映像世界は、そんな彼にとってパラダイスになるはずだった。ところが、ビデオで撮影し、記録すること自体が快楽であった彼は、そこでも嫌われ、再び現実の世界へ戻らざるを得なかった。その時、事件は起こったのではないか。警察関係者が「混沌(カオス)」と呼んだあの部屋で、宮﨑被告はいったい、何を考えていたのか。宮﨑被告は警察でも、法廷でも、遺体を撮影したビデオを「世界一の宝物」と言ったが、彼にとって、本当の宝物とは何だったのであろうか。
 
・宮﨑被告は、「自分がやった非人間的な事件などと刑事さんに聞かされ、『早く本当の人間らしさを取り戻しなさい』と説得され、すべてを話し、被害者の両親に謝ろうと思った」と、自ら自供にういたる心境を語った供述調書まで存在している。
 
・弁護側が云うような強圧的な取り調べを行っていたとすれば、宮﨑はおそらく、何一つ喋らなかっただろう。宮﨑は力ずくで押してもダメで、逆に話しやすい環境を整え、パズルやクイズ、ユーモアに富んだ会話を行って、気分を乗せてやれば、スラスラとしゃべる男であることは、弁護側も鑑定人もよくご存知のはずでしょう。何しろ、狭山署の留置場では毎週一回程度、午後三時から『おやつの時間』があるのを知っていて、わざと重要な供述をその時間に合わせて行う。そして『おやつを食べるので留置場に戻して欲しい。この時間に食べないと食べ損なってしまう』と言って、休憩をとるような男なんだ。それが狡猾さではなくて “ 遊び ”なんだ。
 
・私は取材した結果、自分なりに得た結論をA氏にぶつけてみた。宮﨑被告は、両親らの不仲で家庭内が荒廃していたうえ、頼りにしていた祖父と「武にぃ」が去り、「一人ぼっち」になった。人間への絶望感は、父親の克也氏との相剋とも言うべき収集癖も手伝って、彼をモノへと向かわせた。ただ、狂ったように収集したビデオも、部屋の壁を積み上げることはできても、彼の魂の救済ににはならなかった。やはり人間はがいいー。ところが、自己顕示欲が強い半面、掌の障害や女性への劣等感から、自分の思うようにはいかず、結局ビデオ仲間にも追放され、無抵抗の幼女でさえモノとしてか扱えなかった。そんな彼が向かうのは、空想の世界でしかない。すべての犯罪は欲求不満から始まるというが、彼はそれを空想世界で解消しようとした。その空想とは、自分の思いのままに行動でき、楽しく “ 甘い気分に浸れる ” 空間であり、象徴だったのかもしれない。「ただ、一つだけ見逃していることがある。彼は、自分が『道化』にしかなれないことを、知っていたんだよ……」
 
宮﨑被告は一度だけ涙をみせたことがあるという。「宮﨑は自分が『道化』を演じることでしたか、女性と付き合えない、いや、話をすることさえできないことを知っていた。掌の障害は遺伝するので一生結婚はできないと思い込み『道化』に徹しようと心に決めていたからだ。その苦悩を理解し、癒やしてくれるのは幼女だけだと思っていた。だから、一通り供述し終えた後、『僕だって、一度は主役を演じてみたかった』とポツンと一言漏らし、涙を流したんだ」A氏にはその涙は演技には見えなかったという。
 
「両側先天性先天性橈尺骨癒合症(とうしゃくこつゆごうしょう)」の障害、「アナグラム」「島倉千代子の話」「今田勇子の正体」のことは知らなかった……。
 
犯罪史としても忘れてはならない。オススメしたくないけど、興味ある方はどうぞ!

 

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