「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「人間臨終考」(森達也)


人間臨終考


映画監督、ドキュメンタリー作家の森達也氏。とても印象的なインパクトの強い作品が多いよね。(・∀・)


さて、この本。「歴史人物の死に際から、それを取り巻く社会を、ノンフィクション作家・森達也が痛烈に風刺。死刑、付和雷同の国民性、想像力なき善意…硬直する日本社会にズバッと斬り込む新感覚日本現代論」そのエッセンスを紹介しよう。


ブッダ 前463〜前383 享年80】


・世界では日々さまざまなことが起きている。あるいはさまざまなものがある。そしてさまざまな人がいる。そのどれひとつをとっても。それだけで単独に存在しているものなどない。それは今現在のあらゆるものや現象の横のつながりでもあり、あるいは時間を空間を超えた過去からのつながりでもある。これが「縁起」


この世界のすべては「縁起」によって関係づけられていると知ったブッダは、次に「苦とは何か」「どのように苦から逃れるべきか」を考えた。「苦」とは何かこれを考えるためには、この世界のすべてのものはつながっていることと同じ時に、すべてのものは移ろいゆくということは知らねばならない。ものは壊れる。そして生きものは死ぬ。今のまま変わらないことをどれほど強く願っても、永久に変わらないものなどない。すべては変化する。これが「無常」。


ブッダが唱えた教えは、実のところ、宗教というよりも、生きるための哲学に近い。生前のブッダは、自分のことは神であるとは一度も言っていない。また宇宙や空のどこかに造物主や創造神などがいるとも言っていない。ブッダがひたすら唱えたことは、この世界には永久に存在するものなど何ひとつなく、またすべては時間や空間を超えてつながっているということ。その心理さえ知れば、人やものへの執着から離れることができて、生きる苦しみから開放されるということだ。


「アーナンダよ、私が死んだあとも、絶対にチュンダを悪く言ってはいけない。これで私は涅槃に行けます。むしろ彼には感謝すべきなのです。さあ、アーナンダよ。私のために、2本ならんだ沙羅双樹を探して、そのあいだに頭を北に向けた床を用意しなさい。私は疲れた。横になりたい」


「もろもろの事象は過ぎ去るものである。もちろん私も。例外などない。私は神ではない。ただの年老いた人間だ。忘れなさい。そして怠ることなく修行を完成しなさい」これがブッダの最期の言葉となった。


ブッダは偉大だ。素晴らしい!オススメです。(・∀・)



人間臨終考