小学生の頃、家族の「族」と「旅」をよく間違えた。中村雅俊の『俺たちの旅』が『俺たちの『族』』にになっていまい、暴走族のドラマになってしまった!?(笑)
さてこの本。「本と誤植は切っても切れない!?恥ずかしい打ち明け話や、表現へのこだわりなど、校正をめぐるあれこれを、作家や学者たちが本音で語り出す。本好きには興味津々のアンソロジー」その代表的なものを紹介しよう。
・(中村真一郎)一度、 危いところで大恥を掻きそこなったことがある。 校正刷りを出版社へ戻そうとして、封筒に入れる前に。 ふと気が付いたら「学者」という字が「芸者」となっていた。 私はとんだ遊び人にされるところだった。
・(河野多惠子)昔、 ヨーロッパでキリスト教会の権力が強大だった頃、 聖書の校正には格別の慎重さが要求された。それでも、 誤植は皆無ではなかった。で、どこかの国で、 聖書に誤植が起きた場合には校正者を死刑に処することにした。 ところが、文字通り命がけの校正によって印刷された、 その聖書にもやはり誤植が一つあった。そして、 校正者は死刑に処せられた。
・「トル」という文字を書いておくと、何でもトッてしまう。「 サルトル」が「サルクレ」と誤植になっている場合、「クレ」 の部分を「トル」と直すよう指示しておくと、取られてしまって「 サル」になってしまう。これは「サルトルが猿になった話」 として有名らしい。
じつを言うと、この正誤表なるものに、 私は学生の頃からちょっとした憧れを抱いてもいたのである。 はじめから誤りを残してもいいなどとは、だれも考えない。 正誤表は、ぎりぎりまで根を詰めて、 それでもこぼれたものを拾おうとした涙ぐましい努力の跡であり、 身体が凍り付くほどの緊張と悔悟の脂汗が染み込んでいる小さな地 図を入れた、投壜通信のようなものなのだ。
・「天成のエッセイスト」→ 「天才のエッセイスト」
「失敗は成功の基」→「失敗は成功の墓」
「冀(こいねがい)上げます」→ 「糞上げます」
「大使」→「大便」
「尼僧」→「屁僧」
「前衛」→「前術」
「旅人」→「族人」
「先頭に立って」→「銭湯煮立って」
「王子」→「玉子」
「ある事情」→「ある情事」
「社会正義」→「社会主義」
「イッパツできまる」→「イッパツできる」
「読む」「読んだ」→ 「続む」「続んだ」
「窓際の庇」→「窓際の屁」
「雑誌 蒲田」→「雑誌 蒲団」
「水着姿多し」→「水着婆多し」
「帽子を眼までかぶり」→「帽子を腹までかぶり」
・「誕生日 男とセックス やりにいく」(林真理子?)
いまでいう変換ミスだけど、誤植は昔からあるので、笑えるネタがいっぱいあるよね。しかし『水着婆』は、いやだな〜〜!?(笑)オススメです。(・∀・)