「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「この一冊で東京の地理がわかる!」(正井泰夫)



街歩きと地理が大好きな私。これ一冊で東京がわかっちゃうなんて!こりゃ読まずにいられない!そのエッセンスを紹介しよう。


・江戸きっての歓楽街だった吉原の歴史は、現在の人形町あたり、元吉原に始まる。1619年、葺屋町東側で遊女家業を始めた江戸唯一の幕府公認の遊里だった。葭(よし)が茂る湿地帯で葭原といったが、嘉字を使って吉原と改称した。1657年の明暦の大火で全焼し、浅草北部の、現在は千束という地名の新吉原に移った。そこから江戸の遊女町としてのさまざまな物語が生まれることになる。


東京都には、七つの「副都心」と五つの「心」がある。これはれっきとした東京都の計画なのだ。「臨海副都心」と「新宿副都心」ここまでなら、たいていの人は思い浮かべることができる。では、残り五つの副都心はどこだろう?「渋谷」「池袋」「上野・浅草」「錦糸町・亀戸」「大崎・五反田」が七つの副都心である。また東京都長期計画は、多摩地区に五つの「心」をも位置づけている。それは「八王子」「立川」「町田」「青梅」「多摩ニュータウンであるが。、バブルの崩壊やその後の財政赤字で、完成はまだまだ先の長い話である。


千代田区の人口は約5万人だが、通勤のために百万人近くがラッシュにも負けずに他県からやってくる。都心部の昼間就業人口と夜間人口の比率は、8.3:1。海外の年は、ニューヨークが3.7:1、ロンドンは2.7:1であるのに比べると飛び抜けた比率である。東京はいまや、人類がかつて経験したことのない巨大都市なのである。


「環七」「環八」があるのに、「環一〜環六」はどうしてないのだろう?1927(昭和2)年の環状幹線道路の計画では行政当局は、それまであった道路を無理につなぎわせたものを「環一」から「環六」だと説明している。それによると、内堀通りが環一、外堀通りが環二、外苑東通り言問通り三ツ目通りが環三、外苑西通り不忍通りが環四、明治通りが環五、山手通りが環六である。


その他、「江戸の四宿の一つ、品川宿はなぜ栄えた?」「なぜ伊豆諸島は静岡県ではなく、東京都の管轄なのか?」「東京都は軍事的な理由から太平戦争中に誕生した!」「ヤミ市を経て発展した池袋のおいたち」「寺もないのに、なぜ吉祥寺の地名が?」「銀座、渋谷、新宿…東京の地下街はどのように発展してきたか」「日本一人口が少ない自治体、絶海の孤島、青ヶ島村など。


ああ〜ぶらり途中下車の旅のリポーター、やりたいっ!オススメです。(・∀・)