「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「鉄道ひとつばなし」(原武史)

最近、プチブームの「鉄道ひとつばなし」シリーズ。毎日当たり前のように接している電車、鉄道についてのコラムの第一弾。そのエッセンスを紹介しよう。


天皇が初めて鉄道に乗るのは、新橋ー横浜間の開業式に先立つ1892年(明治5)年陰暦7月だったが、初めて自動車に乗るのは1913年(大正2)年(ただし皇太子時代を含めれば1908年)であり、さらに初めて飛行機に乗るのは54年(昭和29)年のことである。つまり鉄道の発達は、近代日本の歩みそのものであった。


東京と八王子市の高尾を結ぶJR中央線は、その起点と終点がいずれも天皇に深く関わる場所であることに注意する必要がある。東京駅は本来、天皇が地方訪問の際に利用する玄関駅として1914(大正3)年に開業したものであり、当初は宮城(皇居)に面した丸の内口しかなかった。中央線は、その丸の内口に最も近い1,2番線から発車する。一方、高尾(61年までは浅川駅と呼ばれた)駅は、大正天皇の陵である多摩陵が27(昭和2)年に出来て以降、この陵の最寄り駅となる。つまり東京が天皇の「生」を象徴する駅であるとすれば、高尾は天皇の「死」を象徴しる駅であったのである。


・1929(昭和4)年8月。鉄道省は東京ー下関間を走る特別急行列車につける相性を募集するポスターを各駅に掲示した。日本で初めての特急の愛称名が「富士」と「櫻」であったという事実は非常に興味深い。そこには当時の日本人にとって、すでに富士山と桜が特別な意味をもっていたことが暗示されているからである。


その他、五島慶太小林一三」「韓国に「急行」がない理由」「特急、急行、快速の停車駅を考える」「優等列車の名称」「横須賀線は死んだ」「二つの「園」」「「や」と「たに」の間」「「新」のつく駅名」「浦和の謎」「京成電鉄博物館動物園駅」「痴漢の発生」など。


やっぱり日本の鉄道は日本一だね!(・ω<)!



「鉄道ひとつばなし2」(原武史