「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「誤植読本」(高橋輝次)

ワープロやパソコンが一般的になってから、「誤植」の問題は確実に広がっている!…ような気がする。例えば、昔、一世を風靡したテレビドラマ「俺たちの旅」。私はずーっと、俺達の「族」と書いていた…!?暴走族の話かよっ!!!って自分でツッコミを入れたくなる。

さて、この本。古今東西の誤植の大辞典。そのエッセンスを紹介しよう。


【屁(へ)と庇(ひさし)】泉麻人


変な話だが先日、「屁」という字を久しぶりに確認する機会があった。別にど忘れしたわけではないのだが、過日出版した「地下鉄の友」という著書の一節に誤字がある、ということを知人に指摘されたのである。新幹線の車内風景について書いたエッセイの一節だ。


「窓際の屁のようなスペースにも、缶ビールやおしぼりを置けるし、これは相当の格差がある…」


「窓際の屁」というのは、あの窓の内側につきだしたスペース、つまりこれは「窓際の庇」の誤字である。僕は思わず吹き出してしまった。


「尻」「尿」「屁」の流れで考えていくと、女僧を表す「尼」という字の印象はどう見てもよろしくない。何もよりによって神や仏に使える女性に、こんなスタイルの字をあてがうこともなかろうに、と思ってしまう。控え目なオナラを放(ひ)っている剃髪の女、みたいな絵を思い浮かべてしまうのではないか。さらに尼に「氵」を付けて、「泥」、尼さんが水におぼれて泥になる、もうふんだり蹴ったりである。


手塚治虫もよく名前を間違われ、「治忠」とたびたび書かれた。あるとき「手塚泣虫」となっていたのが所得番付に関する新聞記事だったというから、よほど泣かされたに違いない。


日本語って複雑だから、誤植のモンダイって永遠に続くんだろうね。オススメです。(・∀・)