私の父が69歳で、亡くなって早や9年。葬儀の時の弔辞を読んだのは私だ。
長男の兄はインドのとある宗派のお坊さんで、葬儀を取り仕切っていたし、母はとてもそんな状態ではなかったので、次男坊の私がその役を務めたのだ。
さて、人生の最期の時に捧げられる弔辞。印象的だったのは、漫画家・赤塚不二夫氏へのタモリからの弔辞だ。まだ記憶に新しい。
HUMAN〜追悼・赤塚不二夫氏…タモリさんの弔辞
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20080822
そしてそれに匹敵するのが、大好きだったザ・ドリフターズのメンバーの荒井注氏の葬儀の時のいかりや長介氏の弔辞だ。思わず泣けてくるメッセージだ。その全文を紹介しよう。
【 弔辞 】
「出発間際の忙しい時に、とあんたは怒るかもしれないけど、ちょっとお話しましょうや。暮れに会った(フジカラーのCM)けど、あれ、良い仕事だったよね。あんたも現場に来た時より、帰る時の方が元気だった。みんなも喜んでた。良い仕事だった。覚えてるかな?あのときあんたがさ、『今度は医者の言うことをよく聞いて、飲んでも良いってお墨付きをもらってるから、一緒に飲もう』って言ったこと。結果的にあれが最期の言葉になっちゃたね。
今日ねえ、みんな来たかったろうけど、そうもいかなくて。浮世のしがらみって奴で、高木と志村は仕事でね。加藤はさあ、これが笑っちゃうんだけど、渋滞にはまっちゃって。あいつらしいな。あんたが行っちまうのを遅らせようとしてねえ。いまハラハラ、ドキドキして向かっているところだと思うよ。
あんたもあれでねえ、よっぽど偉い人というか、変な人というか…。カラッケツでドリフを始めて、飛行機で言えば離陸する大変な時にいてくれて、それから何とか先が見えてきて、さあ、これから楽になるぞ、お金も儲かるぞという時に辞めちゃった。あの時はあんたの人生哲学が理解できなかった。『極力みんなに迷惑かけないようにする』って、辞めると言ってからも半年は続けてくれた。あの半年のあんたは凄かった。鬼気迫るというか、本当に面白かった。
あんまり面白かったから、気が変わって『残る』と言うかなとも思ったけれど、あんたとうとう言わなかったね。スパッと辞めちゃった。もうあんたは行くんだよな、止めても無駄だと分かってはいるけど、こっちはあの時と同じ立場にいるような気がするよ。
行くな、とは言わないぜ。途中、気を付けてな。飲もうぜ、絶対に飲むんだよ。飲まなきゃ駄目だ。おい、飲むんだぞ!長話すると嫌われるから、この辺でな。飲む場所はあんたが決めといてくれ。じゃあ、いずれ」
2000年2月11日 静岡・式典会館白寿にて
ザ・ドリフターズで、どれだけ笑ったか。そしてこの弔辞でどれだけ泣いたか。゚(゚´Д`゚)゚
後に長さんも亡くなったからね…。
もう、私は弔辞を読むことはないだろう。読みたくない。いや、でも読むときは万感の感謝の思いを込めて読む。でもやっぱり読みたくないよね。