「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』(高野秀行)

いま、日本には外国人が207万人もいるという。(2011年6月調べ)もはや北海道全体の人口を上回り、名古屋市の人口に迫る勢いで、全くもってたいへんな数だ。実際に、外国人はどこにでもいる。電車に乗っても、コンビニに入っても、繁華街や工事現場でも。


彼らの多くは一時的な滞在者ではない。十年、二十年という単位で住み、日本語を話し、日本で家庭生活を営んでいる。日本に移り住み、ここに根を下ろした人たちなのである。彼らは日本で日々、どんなものを食べているだろうか。母国の料理なのか、日本の料理も食べるのか、両方食べるのか。母国の食材ならどこで買うのか。調理の仕方はどうなのか?


この本は、「突撃、隣の外国人の食卓。日本初の比較“ごはん”文化論的ルポ」なのだ。そのエッセンスを紹介しよう。


・日本で暮らす外国人のリアルな姿を見てみたい。かくしていろんな外国人の食事風景を見て回った。そこは驚きの発見の連続だった。本文した建物の扉を開けた瞬間に、別世界に連れて行かれたことも一度や二度ではない。ドラえもんの「どこでもドア」のように、一瞬で外国に行ってしまうのだ。別世界なのに日本。読者のみなさんとその感動を分かち合うことができれば嬉しい。



【成田のタイ寺院】



「今まで食べた中でいちばんおいしかったのはどこの料理ですか?」私はこう即答する。「そりゃ、やっぱ、タイ料理ですよ!」うまいもんはうまいんだから仕方がない。タイ人にとってお寺はいろんな意味で「よりどころ」だ。タイの寺は扉もなく、文字通り開かれている。二十四時間誰でも出入りができる。寝るところや食べ物もある。相談すべき人もいる、タイのお寺ははいつでも誰でも困った人を受けれいる場所なのだ。もちろん、寺は信仰の中心でもある。


お寺は「タンブン(功徳を積む)」というタイ人にとって最も重要なことを行う場でもある。いちばん一般的なのはお寺や僧侶へのお供え物やお布施だ。お金でも品物でもいいが、基本中の基本は食べ物を差し上げることである。タイの僧侶は戒律のため、自分で食事を買ったり調理することができないので、毎朝托鉢に出かける。一般の人はその鉢にご飯をよそうだけでなく、折に触れてはお寺に食事や日用品を寄進しに行く。これがタイ人にとって欠かせない行為だ。


タイの僧侶は二百二十七にもわたる戒律を守って暮らしている、正午を過ぎたら固形物は一切口にすることができないというのもその一つだ。


お布施の進呈がが終わると、みんなで、お坊さんのあとについてお経を唱和、その後、めいめいがひざまずいて食事をお坊さんに捧げ、それからお坊さんの食事に移る。お坊さん二人の前に二十品もの料理が並ぶと、まるで王様の食卓のような豪華さだ。意外なことに給仕をする人はいない。お坊さんが自分でご飯と料理をよそって食べるのだ。お坊さんはえらく時間をかけて、ほぼ全種類の皿に手を伸ばしていた。なるべくたくさんの人の料理を食べれば、みんなが功徳を積める。そう、お坊さんに食べてもらうことが「タンブン」なのだ。



日本とタイの両方で僧侶の生活をしてみて、いちばんちがうところは「寒いこと」。タイのお坊さんは基本的に一枚の衣しか着てはいけない。右の肩などはだけている。足も裸足だ。「寒くて、気持ちいいです」とお坊さんはニコニコした。タイは熱帯の国なのに、タイ人の多くは暑いのが大嫌いで寒い方が好きなのだ。真冬になると冨士山を見に行って、「ああ、寒い。ああ、美しい」と喜ぶのがタイ人の定番である。


その他、「イラン人のベリーダンサー」「震災下の在日外国人」「南三陸町のフィリピン女性」「神楽坂のフランス人」「中華学校のお弁当」「群馬県館林市のモスク」「鶴見の沖縄系ブラジル人」「西葛西のインド人」「ロシアン・クリスマスの誘惑」「朝鮮族中国人の手作りキムチ」「震災直後に生まれたスーダン人の女の子、満一歳のお誕生日会」など。読むだけで世界旅行が楽しめる。オススメです。(・∀・)