「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜トキワ荘の光と影…『漫画に愛を叫んだ男たち』(長谷邦夫)

小学校の頃は漫画が大好きだった。小遣いのほとんどは漫画に消え、休み時間はドッジボールをやっているか、漫画を描いていたのだ。(^◇^)

もちろん、影響を受けたのは、赤塚不二夫手塚治虫石ノ森章太郎藤子不二雄…などなど。
そしてそれらの漫画界の重鎮を輩出したのが、かの有名なトキワ荘だったのは、ご存知の方も多いだろう。


この本の著者は、そのメンバーの一人であり赤塚不二夫のブレーンでもあった、長谷邦夫氏。(^◇^)
そのトキワ荘の住民たちの青春時代をつづった傑作!どのページも漫画界の黎明期のエピソードが満載なのだが、特に印象的だったのが、天才バカボン」のネーミング誕生秘話。それを紹介しよう。


講談社の編集長らと、漫画番全員で考えたアイデア、例えば、親子二人で世界の有名都市を巡る珍道中、などを赤塚に提示して見せた。

「このアイデア、みな面白いよ、だからこれが全部使える漫画の設定にしよう」と赤塚は言った。
「先生、すごいです。天才だ、その発想」
天才じゃないの、バカだよおれは。そのとんでもないバカが世界を放浪する。放浪するって何だっけ…長谷?」
バガボンド
「役者でいるじゃない、藤山寛美。バカな関西のボンボンやらせたら天才の人」
「じゃあバカボンかい」
「そう、いいなそれ。バカボンって。でも放浪者ではなく、やはり家庭も子供も出してさ」
「バカばっかりではちょっと心配ですね。そういえば韓国で大天才のキム君が話題ですが」
「だった、二人合わせて天才バカボンとでもしたらいいな
「お、それはいいね」


そして手塚治虫氏のことについては最大級の評価が!(^・^)


「日本人はなぜこんなにも漫画好きなのか?なぜ、外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか?答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ。日本の戦後の漫画は、手塚治虫抜きにはありえない。ストーリー漫画とテレビアニメの創始者少年マンガはむろんのこと、今日隆盛をきわめる少女漫画の主人公でも、あの長いまつげを持った美少年「アトム」の両性具有的なイメージに影響を受けていることは容易に推論できよう」


ん〜あの頃ひとつのアパートにあれだけのビッグネームの漫画家がいたなんて奇跡的だよね。タモリと赤塚氏のエピソードもオモシロイ。オススメよ!