もちろん、影響を受けたのは、赤塚不二夫、手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子不二雄…などなど。
そしてそれらの漫画界の重鎮を輩出したのが、かの有名な「トキワ荘」だったのは、ご存知の方も多いだろう。
この本の著者は、そのメンバーの一人であり、赤塚不二夫のブレーンでもあった、長谷邦夫氏。(^◇^)
そのトキワ荘の住民たちの青春時代をつづった傑作!どのページも漫画界の黎明期のエピソードが満載なのだが、特に印象的だったのが、「天才バカボン」のネーミング誕生秘話。それを紹介しよう。
・講談社の編集長らと、漫画番全員で考えたアイデア、例えば、親子二人で世界の有名都市を巡る珍道中、などを赤塚に提示して見せた。
「このアイデア、みな面白いよ、だからこれが全部使える漫画の設定にしよう」と赤塚は言った。
「先生、すごいです。天才だ、その発想」
「天才じゃないの、バカだよおれは。そのとんでもないバカが世界を放浪する。放浪するって何だっけ…長谷?」
「バガボンド」
「役者でいるじゃない、藤山寛美。バカな関西のボンボンやらせたら天才の人」
「じゃあバカボンかい」
「そう、いいなそれ。バカボンって。でも放浪者ではなく、やはり家庭も子供も出してさ」
「バカばっかりではちょっと心配ですね。そういえば韓国で大天才のキム君が話題ですが」
「だった、二人合わせて天才バカボンとでもしたらいいな」
「お、それはいいね」
そして手塚治虫氏のことについては最大級の評価が!(^・^)
「日本人はなぜこんなにも漫画好きなのか?なぜ、外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか?答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ。日本の戦後の漫画は、手塚治虫抜きにはありえない。ストーリー漫画とテレビアニメの創始者。少年マンガはむろんのこと、今日隆盛をきわめる少女漫画の主人公でも、あの長いまつげを持った美少年「アトム」の両性具有的なイメージに影響を受けていることは容易に推論できよう」
ん〜あの頃ひとつのアパートにあれだけのビッグネームの漫画家がいたなんて奇跡的だよね。タモリと赤塚氏のエピソードもオモシロイ。オススメよ!