- 作者: 中江香
- 出版社/メーカー: 中経出版
- 発売日: 2008/07/26
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 9回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
BOOK〜『江戸三〇〇年「普通の武士」はこう生きた』(八幡和郎ほか)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20091219
BOOK〜男は死ぬまで恋をする…『江戸の性談』(氏家幹人)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20091124
BOOK〜『これを読まずに「江戸」を語るな』(氏家幹人)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20091117
BOOK〜江戸の奥深い闇!…『大江戸残酷物語』(氏家幹人)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20091028
実は、お江戸はリサイクルが徹底した究極のエコ都市だった!子どもの躾は体罰によらず、言葉で立派に育て上げた。古着とレンタルを駆使したおしゃれ。徳川家康から庶民の間にまで大流行したガーデニング…。早寝早起き、よく働き、よく楽しむ。生活の基本に忠実に、しかし「なんとかなるさ」と日々を前向きに楽しんだ、お江戸の暮らしを一挙に紹介したのがこの本。そのエッセンスを紹介しよう。
・江戸時代の結婚適齢期といえば、女性は19歳、男性は25歳だったという。江戸時代は離婚率は高いが、それは結婚して5年までのことで6年以上一緒にいる夫婦が離婚をすることは稀であった。江戸時代は恋愛と結婚は別のものという考え方が一般的で。恋愛結婚は「浮気な結婚」と言われいていたようだ。
・江戸時代の結婚式では、白無垢に綿帽子というのが花嫁衣装として一般的だったようだ。白を使うのは、「婚家の色に染まるため」とよくいわれるが、本来の意味は違っていた。白い衣装は神事のときに祭主が着用する白い斎服で、物忌のときにも着たという。このことから、花嫁が白無垢をまというのは婚家での死装束という意味があり、「一生を嫁いだ先の家でまっとうする」という決意の表れであった。
・三三九度というのは、古代中国の数字信仰や陰陽五行説の影響で生まれたものだ。奇数は「偶数で割れない数字=固い数字=別れないに通じる」として、縁起のいい陽の数字だと考えられていた。だから寺院に建てる塔も、三重の塔や五重の塔など奇数を重ねている。
・江戸時代の人は、いったい何枚の着物をもっていたのだろうか。長屋に住んでいる住人たちは男女とも一生のうちに三、四枚の着物を所有するのが精一杯だったという。それも親から譲られたものや古着屋で購入したものだ。
・江戸っ子の食事はヘルシーだ。納豆、味噌、醤油、鰹節、糠漬けなどの発酵食品を多く食べていたことが分かる。江戸の人たちの食事内容を見ると、便秘や吹き出物とは無縁の、肌のきれいな人が多かっただろうと思う。
・江戸は、棒手振り(ぼてふり)という行商人たちが、長屋の路地まで次々にやってきた。朝は、納豆売りとシジミやアサリ売りに始まり、豆腐、野菜、魚、ドジョウ、梅干し、アジなどの食料品を担いだ人が、「しじみ〜あさり〜」「いわしこ〜、いわしこ〜」という声や、「とうふィ」という呼び声で売りに来る。刺身にしてくれ、といえば、魚屋は包丁で刺身にしてくれる。食料品のほかに、竿竹、油、ざる、針、文房具などを売りにくる者や、桜草、へちま、朝顔など、季節の花の苗を運んでくる者、すだれ、蚊帳、金魚、鈴虫、団扇、切り花などの季節商品から、錠前直し、包丁研ぎ、貸し本屋、鑑磨きなどのサービス業まで、ありとあらゆる商品とサービスが棒手振りのかたちで提供されていた。
・江戸時代には車や電車はないので、庶民の移動手段は徒歩しかなかった。男子は一日に十里(40キロメートル)歩けてやっと一人前と認められたのだという。
最近、めちゃめちゃ歩いてます。江戸時代の人に負けないように!(^u^)