「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜昭和の爆笑王の生涯!…『笑伝 林家三平』(神津友好)

笑伝 林家三平 (新潮文庫)

笑伝 林家三平 (新潮文庫)

皆さんにお知らせです。私の知り合いのお笑い芸人のへらちょんぺさんが「マスクパフォーマーズ」の一員としてテレビ出演しますという連絡がありました。ぜひ見て下さい!



10月3日(日)19時00分〜21時54分
日本テレビ 「世界1のSHOWタイム〜ギャラを決めるのはアナタ〜」
http://www.ntv.co.jp/showtime/

また、同日 10月3日(日)16時00分〜前回の再放送もあります。彼は、ナント「お笑い忍法 1秒脱ぎ」という名人芸でかつて、エンタの神様アメリカのCNNでも取り上げられましたレアな芸の持ち主です。お楽しみに!(^_-)-☆


早や脱ぎ王 へらちょんぺのホームページ
http://hayanugiou.web.fc2.com/



さて、私が最も好きだった落語家、昭和の爆笑王・故 林家三平師匠。ホント面白かったよね〜。これらの本も良かったです。(^。^)


BOOK〜昭和の爆笑王の素顔…『父の背中』(二代 林家三平
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20090411

BOOK〜初の公式ネタ集!…『昭和の爆笑王 ご存じ 林家三平 傑作集
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20081221


この本は、林家三平師匠の生涯を描いた伝記。復員後、林家甘蔵の名で前座見習開始。テレビの普及とともに時代の寵児となっていく姿には、時間とネタ作りに追われる異才の悲哀が滲む。客を笑わせることに徹した不世出のエンタテイナー。その人生をたどる本書は、戦後落語史としても読める。 そのエッセンスを紹介しよう。


・高座の林家三平の日々は慙愧(ざんき)と苦渋のあけくれであった。その芸風は一種の危機感をはらんだスレスレの曲芸のようなタネもしかけもない手練の技とはまったく同じ、一つはずしたら命とりになる一席なのであった。寄席の高座でしゃべり始めたところへ入った客が二、三人、うろうろと空いている席をさがす。


「いらっしゃいまし、ア、そこ空いてますから、えーもういらっしゃるんじゃないかといまも噂していたとこなンすから…」


「ご隠居さんこんにちは、八っつあんかいおあがりよ(このとき中座した客が戻る)あ、おかえンなさいまし、よく手ェ洗ってきましたか?(爆笑)…どうも(と頭に手をあてる―拍手がくる)」


こうして、はなしの間をはずすことによって客席をはなしの中に参加させてしまう。三平自身も思わず笑って「自分で笑っちゃいけません(扇子で高座のへりに線をひき)笑うのは線からそっち、入場料払った人だけ…」

そしていつも<ああ、また同じことをやってしまった>と高座おりての焦りが胸をかむ。世評はこうした三平落語を<マンネリ>とひとことで冷たく片づけていた。<なんとかこのくりかえしから抜け出さなくては…>。


・父、正蔵は、銭湯の洗い場に入ると、まず一番出口に近い下座にしゃがんで体を洗う。
「はなし家という商売は、お客さまにごひいきをいただいて、はなしを聞いてもらって成り立つ商売だ。なんおこともつねにごひいき第一に考えなきゃいけないんだ。商売をはなれたところでも、ごひいきさんに迷惑をかけることがこれっぱかりもあっちゃなりませんよ」


・三平のテレビの人気が出始めると、たちまちラジオ番組の仕事が殺到した。もうとても三平一人で、新聞や雑誌からその日のネタをひろってしゃべるだけの時間の余裕がなくなっていた。三平の頭の中は、いつもからっぽの状態となった。もうなにもしゃべることがない売れるということのおそろしさは、尻の下からじりじりと焦げついてくるような気持ちのあせりで、昼も夜も身の置きどころのない思いであった。「ホントにもう、これはゆうべ寝ないで考えたンすから…」いつものそんな言葉で毎日、あせり迷い悩む。


源氏物語、冒頭の一節にかかり、「えー、これはバイオレット・シーツ「紫しきふ」という方がお書きになった…」どーっという爆笑の中に、いつものアクション、ひたいに手をあてる。


・妻の海老名香葉子さんはいう。「私の夫は二十歳を過ぎ晩年まで、終始して落語のネタ作りに追われ、それが時としては喜びでもあり苦しみでもあったのです。新聞が沢山とれない頃はジッと見、ノートにつけ、電車の吊り広告を頭に入れて、それを許に小噺を作っていったのです。新聞がどんどん増え7誌とっていたころは、どういう訳か床に正座して新聞を両手に持って腕を伸ばして目を通し、これ、ということろに赤線の見出しをノートにあげて、ネタ作り。時間がなくておわれているときは部屋の中で苦闘しているだろうことが察知できました。でも出掛けるときは、ガラリと変わって、「行って参ります!母上、いかせて頂きます」と挨拶していました。拍手を打ち、それは賑やかな出陣でした。出来が悪かろうが、批評家にどんなに悪く書かれようが、家には持ちこまない。いつも同じなのです。いいときは、それは嬉しそうに母に報告し、夜、窓ガラスが割れるほどの拍手をもらった、と伝えるのです。これほど大勢の人に愛された三平は幸せでございました」


…ん、いいなあ。三平が聞きたくなった。ビデオをひっくり返そう!(^。^)