「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

MY PROFILE〜小野塚 輝「失敗の履歴書」


新潟市に来ています。市内はあまり降らないのに26年ぶりの大雪だって。駅前のホテル前はこんなだよ!


さて、先日ここで紹介したこのエピソード。(・。・)勇気づけられた人も多いんじゃないかな。


HUMAN〜アシックス創業者・鬼塚喜八郎「失敗の履歴書」

http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20100213


今日は、通常の「感動の仕入れ」とは志向を変えて、節も明けたことだし、これにならってちょっと私の人生の今までの「失敗の履歴書」を書いてみました。数々のコンプレックスと自信のなさ、いかに自分がドジでアホで小さい人間か…、恥ずかしいけど読んでね。(*^_^*)


小野塚 輝(おのづかてる) 「失敗の履歴書」


0歳 昭和39年4月26日 新潟県松之山町(現・十日町市)にて、小野塚三夫・久美の次男として生まれる。


5歳 自転車の後部荷台から誤って落ち、左腕を骨折。現在でも左ひじが変形し、曲がったままの状態になる。後に読売巨人軍に入団する条件として腕を骨折した人はダメ」との少年雑誌の記事を読み、幼心にプロ野球選手の夢を絶たれショックを受ける


6歳 新潟より神奈川県小田原市に引っ越す。幼稚園、保育園に入園しなかったため、小学校の入学式は全員初対面!しかも新潟の田舎モノ!超緊張する。物心ついたころから吃音(ドモリ)の傾向が現れる。


7歳 桜井小学校入学。貧乏だったため、クラスでランドセルを買ってもらえなかったのも、机を買ってもらえなかったのも、自転車に乗れないのも持っていないのも自分一人だった…。友達の家に行くときは、みんな自転車で、自分だけ一人走っていた
おばさんからようやく買ってもらったランドセルもその構造が知りたくて、分解、解体し親にバレないように川に流し証拠隠滅をする。二学期から手提げバッグで通学していたため、「なぜランドセルで通学しないの!学校のきまりなの!」と先生から指導されるが、無視し結局、六年生まで手提げバッグで通す


7歳 初めて小田原の海を見る。山村育ちの私は、めちゃめちゃ感動し、その興奮で波にさらわれ溺れそうになり、海と水がトラウマになる


7歳 先生「大きくなったら何になりたい?」「先生、日本で一番偉い人は誰ですか?」「天皇陛下かな」「じゃあ、僕は将来天皇陛下になる!」「てるくん、それは無理だわ」「えっ、なんで無理なんですか?」天皇陛下になる夢を持つも挫折。この頃から、なぜか自分は「天才」だと思うようになる


8歳 家計を助けるために新聞配達を始める。自宅近くの酒匂川の松の木にタイヤをロープでつないだ「空中ブランコ」と呼んでいた手製の遊具で友人と遊んでいて高さ5メートルの高さから落ち、頭を打ち、数日間意識不明の重態になる。後に後遺症の不安と闘う。これを機に高所恐怖症気味になる。


8歳 この頃より3年ほど睡眠時遊行症(夢遊病になる。寝ていると無意識にふっと起きて、近所を徘徊し家に戻るのだ。心配した親は毎晩、歩き回らないようと柱にぐるぐる巻きにされるがいつのまにか無意識にロープをくぐりぬける。この頃の愛読書は引田天功「手品入門」。数年後いつのまにか完治する。


9歳 思い出したくない「テーブルクロス事件」が起きる。このことはあまりに恥ずかしくて書けない。


10歳頃 伝説の「赤布事件」が起きる。詳細はここ!
http://blog.livedoor.jp/samaster/archives/51525150.html


10歳 この頃、電池の仕組みがどうしても知りたくて、ドライバーとペンチ、ニッパー、ハンマーなどを使って単一電池の解体と分解に成功する。たまたま帰ってきた父親に「危ない!おまえ、何をやってんだ!」とぶん殴られる。


11歳 水がトラウマで泳げなかったので、体育の水泳の授業を一年生から五年生まであらゆる理由をつけてボイコットする。ある時、いつものようにサボろうと、「熱があるので水泳、休みます」 先生、「じゃあ、保健室に行って熱をはかってもらってこい!」そして保健室にいくまでの間に37度以上の熱を出すことに成功!発熱をコントロールできるようになる(!?)その結果、5だった体育が二学期だけ、2になる。これじゃだめだと一念発起!六年生の時に克服してようやく泳げるようになる。


12歳 卒業文集に書いた自分の好きな言葉、「天才」


13歳 千代中学校入学。小学校の時ソフトボールで強打のキャッチャーだったので、鳴り物入りで中学の野球部に入部するも近視が進みボールが見えずらくなり、3年間屈辱の補欠!唯一打ったヒットは代打で出たランニングホームラン1本のみ。プロ野球選手になる夢を完全に諦める


15歳 初恋の女性と第一志望の名門・小田原高校に一緒に行こうと約束するが、私だけ偏差値が届かず、格下の西湘高校に入学。学業にも、恋愛にも破れる…。モテるためにギターを始めるも女子から相手にされず。極端に女子が少ない学校で、一年間男子クラスになり、灰色の高校三年間。部活以外の女生徒と話ができなくなる。


17歳 フォークソング部の部長となる。歌とギターが上手ければモテると思っていた。しかしモテなかった。何事にも例外があるという人生の心理を知る…


18歳 高校三年の一学期終了後、兄の影響で文系から理系に針路変更駿台予備校の夏の模擬試験で化学がナント100点満点中の3点!!!絶望の淵に落とされる。猛勉強の末、奇跡的に第一志望の明治大学農学部に入学。


19歳 大学に音楽サークルがないのにショックを受けるも、人形劇団サークルに入部。人形作り、脚本書き、劇中挿入曲の創作に没頭する。


秋の学園祭前に、酔っ払って自転車に乗り自爆事故で顔を潰す。6時間の手術に絶え、朝起きたら左目だけ残して顔中包帯。一度潰した顔は一生治らないと勝手に思い、結婚を諦める。後、三回の形成手術をし、鼻にシリコンを入れ、差し歯を入れ、顔のアザやミミズ腫れを取り、ナントカ見られる顔に形成してもらう


20歳 父の「二十歳になったら学費を自分で稼いで自立しろ!」という方針に従い、毎日新聞東京本社の発送部に勤労学生として就職。二日働いて一日休みというサイクルで21時から翌3時過ぎまで働き、新聞社の仮眠室で寝て朝一番の授業に出る毎日。月16万稼いで自分で学費を払う。その結果、学校と職場の往復のくり返し、たまの休みは友人の下宿で飲んだくれていて実家に帰らなくなる。結果、大学の授業は睡眠学習になり、勉強にまったくついていけなくなり本末転倒になる。


22歳 4年かかってようやく理科系のセンスと科学者の才能がないことに気づき、研究職を諦める大学教授陣のお情けでナントカ4年で卒業というカタチで大学を追い出される。


23歳 建設資材の会社に入社。千葉県市原市で社会人生活をスタート。半年の研修期間で、当時の上司に「お前みたいに、夢を追いかけているヤツは社会では通用しない」ダメ人間の烙印を押される。失敗が多く、本採用の適正部署が見つからず、やむをえず川崎支店の機材課に配属される。


24歳 上司から勧められた自己啓発セミナーにハマってお金を使いまくる。貯金を使い果たし、当時の取締役に頭を下げてお金を貸してもらう。同じころ、初めて買った車で飲酒運転で追突事故を起こし、半年で二回の免停。借金生活に陥り、電気、ガスを止められる。この頃、生涯の伴侶である妻と出会う。


26歳 埼玉で機材センター所長を命じられる。しかしたった一人で業者開拓、機材センター作りをしながら、新入社員4人を押しつけられ自分の能力の限界を感じる。が、ナントカ北関東最大のセンターを軌道に乗せる。後で、飲んだ席で役員から「よくやったな〜!まさかこのプロジェクトは成功するとは思わなかったよ。小野塚は独身だろ。お前だったら失敗してもご家族には迷惑がかからないからな。だから所長にしたんだよ」と言われてショックを受ける。この頃から転職を考え始め、異業種交流会に参加し始め、なんと狭い世界で生きてきたのかと知る。


29歳 新しく横浜営業所設立のため所長を命じられ、横浜市金沢区に転居。軌道に乗せる。結婚資金を増やそうと調子に乗って、この頃投資話に騙され全財産200万を失う


31歳 新規事業プロジェクトで子会社に出向。結局プロジェクトは頓挫し、行き場がなくなり、本社に転勤外資系保険会社から声がヘッドハントの声が掛かり、自分の力を試したくなる。…が、面接で落ちる。同時にもう一つの保険会社からリクルートされ、32歳で初めての転職をし、フルコミッションの世界にチャレンジする。


〜 長くなるので、以下 省略 〜


どう?おそらくフツーの人よりも情けないエピソードと失敗と挫折の連続だよね…。(・。・)まだまだ全然成功していないけど、ウチ(SA)のキャッチフレーズの「成功の反対は失敗じゃない。平凡だ!」の通りの人生からすると「視聴率」は高いかも。多くの人の気づきと勇気づけになったらうれしいな!(^◇^)次回は「成功の履歴書」が書けるようにしたいね。(*^_^*)