「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜29歳で夭折した天才棋士…『聖の青春』

聖の青春 (講談社文庫)

聖の青春 (講談社文庫)

私の母方の姓は「村山」。 新潟県十日町市は割と多い名字だと思う。「村山」は遠い遠いところで血がつながっていると信じている。他人とは思えないのだ。(^J^)


さて平成10年、将棋界のトップ10でもある最高峰A級に在籍したまま29歳の若さで亡くなった、「怪童丸」村山聖(さとし)8段をご存じだろうか?4年ぶりに再読したこの本は、彼の一生を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描いた感動ノンフィクション。…泣いた、感動した…。(T_T) 5歳で発症した腎臓の難病ネフローゼをかかえながらも、東の羽生、西の村山と並び称された悲劇の天才棋士。そのエッセンスを紹介しよう。


毎日6時間、本を読んでいただけである。日常の将棋の相手はほとんどが療養所の子供たちで超初心者だった。そんな環境の中で三段の大人と互角以上に闘う棋力を身に着けていたのである。特に毎日必ず10題は解く詰将棋が知らず知らずうちに終盤力を養っていたのだ。


・中一の時、聖の奨励会入りに反対してもらおうと、親族会議が開かれた。ネフローゼという病気、プロになれるかどうかも分からない。その時、聖は皆の前で、頭を下げた。「頼みます。僕を大阪に行かせてください。行かせてくれ。谷川(当時名人)を倒すには、今、いま行くしかないんじゃ」それは、魂の根源からしぼり出されたような純粋な叫びだった。


・「1年」と大人は簡単に言う。、しかし、同じ1年でも意味が違う。、自分にはわかっている。時間がないということが。健康な人間たちととは与えられている時間の絶対数が自分には不足しているということが。


・師匠の森信雄が村山にいった。「爪は切らなあかんぞ」「どうしてですか?どうして、せっかく生えてくるものを切らなくてはいけないんですか?髪も爪も伸びてくるのにはきっと意味があるんです。それに生きているものを切るのはかわいそうです」その言葉を聞いて森は黙りこくってしまた。かえす言葉が見つからないのである。


・純粋さの塊のような生き方とありあまる将棋への情熱。それにかける集中力と桁外れの努力。「終盤は村山に聞け」と言われた勝利へのあくなき執着心と、体を貫く灼熱の棒のような名人への渇望。生きることに対する真摯な姿勢。知らず知らずのうちに村山の純粋な魂にゆすぶられている自分に森は気づいていた。


「早く、将棋をやめたい」と村山は口癖のように言い、周囲の人間を驚かせた。プロになって思うことは、勝負の世界というのは何もない真っ白な世界だということ。将棋盤を目の前にして、よいも悪いもなくただ自分はいつも真っ白になっている。そこは神も入り込めぬ神聖そのものの世界である。しかし、勝負には決着が着く。僕が勝つということは相手を殺すということだ。目には見えないかもしれないがどこかで確実に殺している。人を殺さなければ生きていけないのがプロの世界である、自分はそのことに時々耐えられなくなる、人を傷つけながら勝ち抜いていくことにいったい何の意味があるのだろう。そして、早く将棋をやめたい。名人になって、将棋をやめたいと何度も呟くのだった。


・通算成績は356勝201敗、うち7局病による不戦敗。亡くなる最後の言葉、「2七銀」。平成10年の将棋年鑑のアンケート。
<今年の目標は?土に還る 行ってみたい場所は?宇宙以前>


天才棋士 村山聖
http://www.akinet.ne.jp/kyonanko/satoshi/satoshi.htm

聖の青春
http://www.asahi-net.or.jp/~wf9r-tngc/satoshi.html