「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ツチヤの貧格」(土屋賢二)

最近、夢中で読んでいるツチヤ教授の本。世の中にこんなオモシロイ本があるとはおもわなかった!さっそく今年は全作品読破を狙っています。オモシロすぎる〜〜!♪(・∀・)
 
 
この本を手に取っている人は幸運である。世界に目を向ければ、何十億人という人がこの本を手に取れないでいるのだ――。ユーモアエッセイの数々。読めば品位と勇気が湧いてくる!週刊文春長寿連載「ツチヤの口車」シリーズ第4弾」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
わたしの妻をご推薦申し上げます。妻は無駄なことが嫌いです。夫が遅く帰宅してもいちいち「どこへ行っていたのか」と聞きませんから、わずらわしい思いをすることはありません。聞かれては困るようなときだけ「どこへ行っていたのか」と聞きますから、することに無駄はありません。はんは食べますが、三度で十分です。散歩などの運動は必要はありません。夜吠えることもありません。形式ばったことが嫌いですので、妻に「ご機嫌いかがですか」「ご自愛をお祈りします」と挨拶するのは不要です。正義感も強く、茶店などでコーヒーの量が少ないなど不満なときは、泣き寝入りする必要はありません妻がすぐに店員を叱ってくれます。
 
・同僚の松本教授(俗名)が嘆いた。娘が口をきいてくれない」彼の娘さんは才色兼備のほまれが高く、その上、松本氏と話したがらないことからも分かるように、人間を見る目がある
 
・驚く人もいるだろうが、わたしはトランペッターとしてかなり高く評価されている残念ながら、そういう事実を知る者は、わたしを含め、一人もいない。先日、奇跡がおきた。トランペットをもらったのだ。拝藤さんがわざわざ作ってくれたのだ。拝藤さんの名前はトランポリン関係者には知らない人もいるだろうが、トランペット関係者なら知らない人はいない。トランペット作りの名人と言われている人なのだ。
 
・ことの重大さが分かり、心臓が止まりそうになる。自分を呪った。責任感が強すぎるから心臓が止まりそうになるのだ。わたしは責任感が強いのに約束を忘れる損なタイプなのだ。
 
夏休みに宿題を課すのは、毎日規則正しく勉強する習慣をつけさせるためだったのだろうが、結果的には、ほとんどの家で、毎日規則正しく親が「宿題をやれ」と口うるさく言う習慣を身につけ、子どもは毎日規則正しく罪悪感を抱きながらサボる習慣を身につけただけだ。
 
・夏休みの宿題の中でとくに苦手だったのは自由研究だった。当時、多くの研究課題に取り組んでいた。メンコやビー玉の勝ち方、忍者になる方法、演歌の歌い方、自分をかっこよく見せる方法などを熱心に研究していた。だが、こういう研究は自由研究とは認められないのだ。「自由」研究なのに、実際は不自由なのだ。
 
・わたしの文章を読んでも、心血を注いで書いた文章だと分かる人はほとんどいない。これは、心血を注いだように見せない技術がわたしにあるからかもしれないが、もっと大きい理由は、心血を注いでいないからであろう。
 
・教師というものは話上手でなくてはならない。話の分かりにくい教師は、不器用な歯医者のようなものだ。あるいは肉が苦手なライオンのようなものだだが嘆かわしいことに、教師なのに話が分かりにくい者がいる。嘆かわしいことにわたしもその一人だ。
 
・形あるものはすべて壊れる(とくにわたしは壊れやすい)。ただ一つの例外は、気に入らない食器である。気に入ったうつわはすぐに割れるが、気に入らないうつわは、割れてほしいと思って乱暴に扱ってもわれることがない。
 
つまらない本を読んでいると眠くなるが、著者みずから書いている最中に眠くなるのだから、わたしの文章のつまらなさは並みではない。
 
・わたしはもともと運に恵まれず「悲運」とも言えるところを、血のにじむような努力で悲運になるのを食い止め、中の下程度の不運」に抑えている。

 

いいねえ。この言い回し。表現力。参考になるなあー!オススメです。(・∀・)

 

 

「中二階」(ニコルソン・ベイカー 著 岸本佐知子 訳)

以前から読みたかった本。ようやく読みましたよ〜!内容はもちろん岸本佐知子さんの訳がまた、いいんだよね〜〜!!!!前代未聞、空前絶後の小説だっ!!!
 
「中二階のオフィスへエスカレーターで戻る途中のサラリーマンがめぐらす超ミクロ的考察。靴紐が左右同時期に切れるのはなぜか。牛乳の容器が瓶からカートンに変わったときの素敵な衝撃。ミシン目を発明した人間への熱狂的賛辞等々、これまで誰も書こうとしなかった愉快ですごーく細かい小説」その解説がまたユニークでオモシロイ!紹介しよう。
 
・ベイカーの『中二階』が差し出したのは、「大きいー小さい」のレベルと超越し、“極小(ナノ)文字”とでも呼びたいような、新しいスケールの小説世界だった。そしてそこには、今までどんな小説も表現しえなかったような、全くあたらしい種類の美があったのだ。たとえて言うなら、雄大な山脈の写真と、一輪の花のアップの写真と、どちらを壁に掛けようかと迷っていたら、こんなものもありますよと、電子顕微鏡でとらえた素晴らしく鮮明な原子の写真をいきなり突きつけられたーそんな感じの驚きだ
 
・一人の男が、オフィス・ビルのエスカレーターを昇っていく。彼は昼休みの直前に靴ひもが切れたので、昼食を取るついでにドラッグストアに寄って新しい靴ひもを買い、ふたたびオフィスのある中二階に戻ってくるところだ。『中二階』は、その語り手が、エスカレーターに向かって足を踏み出すところで始まり、エスカレーターを降りて中二階に立つところで終わる。その何十秒かの間に彼の脳裏をよぎったさまざまな事柄ーもっと正確に言うならば、数年前のその何十秒かの体験を正確に再現しようとする語り手の頭に浮かんだ事柄ーだけで、この小説は成り立っているのだ。日常生活のごくごく些細な事柄に関する、ほとんどミクロ的視点の考察である。
 
この本のただならぬことろは、そういった日常の些細な事物に終始しながら、最初から最後まで緊迫感を失わず、ユーモラスで美しく、ときにスリリングでさえある点だ。牛乳の紙パック、ホチキス、自動販売機、ポップコーン、耳栓、シャンプーーそういった日用品の一つひとつをめぐって繰り広げられる言葉のバレエには目を見張らされる。 ニコルソン・ベイカーという人は、自分を取り巻く世界に驚いたり感動したりする能力を、子供のころのままずっと保ち続けている作家である。歴史に記録されることのない日々の生活の手触り”に向けることにこだわり続けている点である。

 

いいなあ……こんな表現したかったなあ。ワタシが書きたかったなあ!ニコルソン・ベイカー、オモシロイわ。他の本も読んでみよ!オススメです。(・∀・)

 

 

「発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々母さんの 伝わる!声かけ変換」(大場美鈴)

最近は、発達障害とかADHDとか、ちゃっと言語化されているけど、昔からあったんだろうね。そして多かれ少なかれ、人はそれぞれその傾向があるんじゃないかな!?とも思えるんだよね。ワタシも子どもの頃は「変わっている!」っていわれてたからなあ。えっ!?いまでも!?(笑)(・∀・)

 

「パパ、ママ、先生に大好評で6万部突破!AERA With Kids でも大特集の話題の書!伝わる! 使える! 毎日がラクになる!と大反響を呼んだ「声かけ変換表」待望の書籍化!」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・ワタシも以前は、怒ってばかりで、毎晩可愛い子どもたちの寝顔を見ては「今日も怒ってしまった」「優しくできなかった」と反省を繰り返す日々を送っていました。その状況をなんとかしたくて、独学で試行錯誤しながら様々な子育て法の実践と軌道修正を繰り返して見えてきた、うちの子のための声かけのコツを一覧表にしてまとめた声かけ変換表」が2014年にネット上で拡散し、大反響を呼びました。どんな子にも伝わりやすいです。怒らなくても、ちゃんと伝わる声かけや工夫はいくらでもあるんですね。
 
この本は、子どもを「手のかからない子」「親の言うことをよく聞く子」「誰とでも仲良くできる子」「なんでもできる優等生」……あるいは「フツーの子」にするための本ではありません。親ができることを探し、その子に合った伝わりやすい声かけを見つけたり、こちらのものの見方を変えてみたり、ある程度でお互いを妥協し、親子でいっぱい話し合いながら、なんとか最後まで子育てを完走するためのヒントを満載しました。「手はかかるけど、やっぱりうちの子が可愛い」「親の言うことなんて聞かないけれど、話が全く通じないワケじゃない」「みんあと仲良くできなくても、人として最低限のことは大丈夫そう」「何ができても、できなくても、子どもが自分のことを好きでいてくれる」「少々個性的だけど、なんとかなる気がする」などと思えるようになれたら……と願っています。
 
・その子の「お母さん」「お父さん」というお仕事は、世界にたった一人の希少な専門職なのに、年中無休の上、無報酬どころか食費と教育費でお金は羽がはえて飛んでいく一方!どんなブラック企業でもびっくりです。手軽に即、実践でき、長期戦を前提に「ムリせず続けられる」持続可能な子育て法が必要だと、切実に実感しています。
 
・「また怒ってしまった」→ 「しゃあない、しゃあない、あるある〜」
 
・「自分はダメな親だ」→「自分はがんばり過ぎている親だ」
 
「どうしてもスグにやらないといけないこと」「早めにやっておきたいこと」「できればやりたいこと」に優先順位をつけます。スキマがなくてキツイ場合は、「私にしかできないことは何?」と自分に問うクセをつけるといいでしょう。

・「こんなこともできないなんて……親失格?」→ 「でも、ここはできてたよね」
 
・「うるさい!あっちいって!」→ 「お母さん、疲れてるから寝てくるね」
 
・まずは「今までよくがんばってきたね」と、今ご自身がそこに生きていること自体を、精一杯ほめてあげてください。親の理想通りの子どもがいないのと同じように、子供の理想通りの親もいません。ましてや、ご自身が著しく不適切な養育環境で育てられてば場合などは、自分が親となった時にも子育てに支障が出てしまうこともあるでしょう。
 
・「でもさ〜」→ 「うんうん、そっかそっかあ〜」
 
・「痛くない、痛くない」→ 「痛かったね」
 
・「そんなこと言うもんじゃないよ」→ 「そうか、イヤなんだね」
 
・「そういうのは、昔からよくあることだよ」→ 「許せん!そんなヤツ、✕✕✕で●●だ!!」
 
・「あんたが悪い!」→ 「◯◯ちゃん、イヤだと思ったじゃないかな」
 
・「片づけて」→ 「お母さんは、今なんて思ってるでしょうか〜?」
 
・「そんなことすると、〜しないからね!」→ 「大丈夫だよ」
 
・「もう知らん!勝手にしなさい!」→ 「ごめんね。お母さん、言い過ぎたね」
 
・「これくらいできて当り前」→ 「よくがんばったね」
 
・「ここができてないよ」→ 「ここまでできてるね」
 
・「全くこの子は、問題児だねぇ」→ 「何に困っているのかな?」
 
・「がんばってね!」→ 「がんばってるね!」
 
・「◯◯しちゃダメ!」→ 「◯◯しよう」
 
・「ハミガキしたら、トイレして着替えて!7時30分までに出発」→「ハミガキしようか?」→(終わったら)「トイレ行っとこうか?」→(終わったら)→ ……。(指示は一個ずつ
 
・「なんで素直に仲直り出来ないの!?」→ 「『ワンピース』で、ルフィとウソップが〜だった時……」身近なたとえ話で)
 
・「オカズ、こぼしてるよ!」→ 「ニンジン逃げた!捕まえて!!」
 
・ ADHDの「H」はhyperactivityのこと。つまり、とってもハイパーな脳のエンジンを搭載しているんです。。いわゆる「フツーの子」が自家用車ならば、ADHDのタイプのお子さんは、F1カーやジェット機。だから、思考や行動がスピードオーバーしやすく、高速走行中は視界が狭くなるのと同じで、周りの状況が目に入りにくいんです。「衝突事故」を起こしがちです。副操縦士のように、周りの人達がその都度声かけしたり、自分を制御する補助したりしながら、その子のブレーキシステムを根気よく育てていくと、だんだん安全運転しやくすなると思いますよ。
 
・「さっきから一体、なんの話をしているの?」→ 「誰が?/何を?/例えば?」(文法と要点の確認を)
 
現代っ子は対面でじっくり人間関係を学ぶ機会が不足しがちで、間関係で「当り前のこと」を自然と学ぶのが難しい状況に置かれているのかもしれません。どんな子にも、発達障害のある子と同じように、一つひとつ、人との柔軟な関わり方を具体的に学ぶことは、現代の環境の中では特に必要だと、私は日々痛切に感じます。
 
お子さんと「雑談」してますか?フツーの話をする時間のことです。私は、最も子どものコミュニケーションを育てるのは、日頃の何気ない親子の雑談の時間だと思っています。子どもの雑談力がUPすると、人間関係もグッと良くなるでしょう。
 
「手加減の練習」「寸止めの練習」「適切な距離感を掴む練習」「人に言ったらアカン言葉を線引きする」など。

 

これは具体的、使えるね。ロールプレイ、やってみたいねー!ADHDに悩んでいるお子さんをお持ちのお母さん、参考になるだろうなあ。オススメです。(・∀・)


↓ コレも参考にしてください。(・∀・)

 

www.rakurakumom.com

 

MUSIC〜「酒場のギター弾き 小野塚テル」ブックカフェ de 「流し」初夏

酒場のギター弾き 小野塚テル  ブックカフェ de 「 流し」2022・初夏

神保町ブックカフェ二十世紀 + 米粉カフェてぃだ 

千代田区神田神保町2-5-4 2F 03-5213-4853

 
さあ、二ヶ月ぶりのブックカフェでの「流し」。ここのところホームグラウンド化しています。(・∀・) 楽しいなあ。みなさん、ご来場ありがとうございました!毎回、どんなリクエストがくるかわからない、「歌のロシアン・ルーレット!♪ 今回も、相棒は、YAMAHA FG-180(1966 ライトグリーンラベル)
 

やっぱり武道館を満員にする歌は、歌えないけど、目の前の人をめちゃめちゃ喜ばせる歌は、歌えるっ!(笑)
 
メモが取れないから、あとから思い出すんだけど、ゼッタイに漏れてるなあ!(笑)

次回の流しは、7月15日十日市場「呑吉」です!神保町ブックカフェでは、8月を予定していますっ!♪ また来てねー!♪
 
今回のリクエス

「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ)「悲しい色やね」(上田正樹)「僕の贈りもの」「YES NO」(オフコース)「とんぼ」(長渕剛)「海を見ていた午後」荒井由実)「雨に泣いている」(柳ジョージとレイニーウッド)「雪」「地下鉄に乗って」「赤い風船」(浅田美代子)「月のあかり」「セクシャルバイオレットNo.1」(桑名正博)「さとうきび畑」「この広い野原いっぱい」(森山良子)「河のほとりに」(谷山浩子)「I love you」「卒業」(尾崎豊)「雨だれ」木綿のハンカチーフ」(太田裕美)「勝手にしやがれ」「時の過ぎゆくままに」「コバルトの季節の中で」(沢田研二)「何も言えなくて…夏」(J-WALK)「瀬戸の花嫁」「わたしの城下町」(小柳ルミ子)「野風僧」「酒と泪と男と女」「時代おくれ」(河島英五)「青い珊瑚礁」(松田聖子)「センチメンタル・ジャーニー」(松本伊代)「My Revolution」(渡辺美里)「22才の別れ」(風)「恋」(松山千春)「どうしてこんなに悲しいんだろう」「春だったね」「落陽」「人生を語らず」「ペニーレインでバーボンを」「マークⅡ」「外は白い雪の夜」(吉田拓郎)「チューリップのアップリケ」(岡林信康)「ワインレッドの心」(安全地帯)「「SACHIKO」(ばんばひろふみ)「路地裏の少年」(浜田省吾「昴」谷村新司)「時代」「糸」「悪女」「ホームにて」(中島みゆきサボテンの花」(チューリップ)「チャンピオン」「今はもうだれも」「遠くで汽笛を聞きながら」(アリス)「勝手にシンドバッド」「真夏の果実」(サザン・オールスターズ)「追伸」(グレープ)「桃花源」「道化師のソネット」「案山子」さだまさし)「サルビアの花」(もともろ、早川義夫)「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)などなど。


今回の時事ネタ

「お酒の歌メドレー」「カルロス・ゴーン三部作〜逮捕の歌、保釈の歌、レバノン逃亡の歌」「新型コロナウィルス撲滅の歌」「ロシア・プーチン大統領 ウクライナ侵攻の歌」「ロシアドーピング疑惑の歌」「平野歩夢 金メダルの歌」「小室圭さん・眞子さん ご結婚の歌〜よせばいいのに」など。
 

 

 

 



「酒(しゅ)にまじわれば」(なぎら健壱)

またまたなぎら健壱さんの本。歌はもちろん、トークも面白いし、文章も上手いんだよね〜!これ、フィクション?作ってない?(・∀・)(笑)
 
「酒にも色々あるけれど、飲まずにいられないのは皆同じ。今日も酒場を漂流する“あたし”こと、なぎら健壱のおかしさと哀しみに彩られた呑兵衛エッセイ。出会いがしらに「山!」と合言葉を発する見知らぬ男に対し、咄嗟に「川!」と答えると「あのことは万事うまくいった。心配するな」。うまくいったならいいか~と思った次の瞬間「よくねぇよ。あのことって何だよ」。そんなエピソードが満載。アルコールの匂いがムンムンの酒場写真、オリジナル〈蔵出し〉原稿も収録」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
【漢(おとこ)、ジミー時田!】
 
芸能界で酒豪がピッタリあてはまる人間に、故・ジミー時田氏がいる。日本カントリー界の第一人者である。そのジミーさんが世界中のカントリー歌手が一堂に会して唄を競うという、アメリカの大きなイベント招かれ、なんとジミーさんの唄が世界の競合を抑えてNo.1となった。本場のアメリカにおいて、文句なくジミー時田の唄は、世界一とお墨付きをもらったのだ。その凱旋ライブが、新宿ウィッシュボーン』というライブハウスで行われた。ジミーさんは酒に酔うほどにご機嫌になり、歌いまくった。何回目かのステージで地味ーさんは、No.1の症状を取り出した。「みなさん、これがその時にもらった物です」それを頭上に掲げ客に見せる。客はヤンヤの喝采である。ところが何を思ったかジミーさん、おもむろにその賞状を破き始めたのである。客は一様に「あっ!」と息を呑んだ。時すでに遅し。賞状は細かくちぎられ、それを花吹雪よろしくステージにばら撒いた。私はこんな紙切れをもらうために歌ったわけじゃない」そういい放つとバンドに眼を送り、再び歌い始めた。あたしはジミー時田に男を見た。自分もこうありたい、あたしは思わずうなってしまった。
 
それから三ヶ月のほど経った頃であろうか、ジミーさんのお宅へ遊びに行った。部屋に入った途端、壁に眼が吸い寄せられた。そこにはビリビリに破られた賞状がセロテープで補修され、額に入って飾られていた。さすが漢!
 

「ハムエッグな夜」「天抜きで一杯」「食堂車」「カウボーイ」「ホヤのお代わり」「シュールはシュール」(シュールストレミング)「神聖な酒」「バーボンをロックで」「ハシゴ酒」「今の唄、満点!」「おじいちゃんの四合ビン」「減らない魔法のボトル」(紹興酒のカメ)「悪魔の酒」「洋酒、カムス」「先輩!なんだ後輩!」「死んだ親父に」「寡黙なお父さん」「ジョン、見てみろよ」「一曲数万円」(イーグルスライブとトイレ)「食べ物は残しません」「部長すみません」「ポップアート」「名曲に酔う」「チンカチンカ」「魚の王様」「論されれました」など。

いいなあ!ワタシは、やっぱりフォークシンガーとしてのなぎらさんが好きだなあ!♪オススメです。(・∀・)♪

 

 

 

「ドナウよ、静かに流れよ」(大崎善生)

ワタシが愛読する大崎善生さんの本。名作『聖の青春』からはじまり多くの著作を読んできたが、この本のタイトルはずっと気になっていたが、「ドナウ」という単語に、ちょっと距離を置いていて長い間読まなかった。ところが、ふっと読み始めた瞬間に惹き込まれた止められなくなってしまい、一気に完読してしまった!!!……感動……。今年のベスト10入り、決定だね〜!!!これほど、タイトルと読む前と、読後のギャップを感じた本はない。切なさというか虚しさというか、純愛を感じた本はない!
 
「留学中にドナウ川へ身を投じた十九歳の少女。その死を報じる小さな記事に衝き動かされた私は、運命に導かれ彼女の短すぎる生を追う旅に出た。衝撃の大河ノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。


〈邦人男女、ドナウで心中 33歳指揮者と19歳女子大生 ウィーン〉
 
いま読み返しても何もかも判然としない、曖昧模糊とした記事である。必要なことが書かれているようで、しかし肝心なことは何もわからない。う書いてはいけないという新聞記事の悪例のような文章である。なぜ33歳男性の実名が報道されないのだろうか。19歳の女子大生が、いったいなぜドナウ川に身を投げなければならないのだろうか。しかも30キロも離れた場所から。入水という自殺方法も印象的だった。あの新聞報道が意図的に情報を隠匿しているように思えて仕方なくなってくる。行間から滲んでくるような、何かを隠そうとしているような論調。
 
この報道が何なのか。彼らは何者なのか。背景にどんなことが隠されているのか本当に事件ではないと言い切れるのか。なぜ少女は19歳で、その肉体と精神を捧げなければならなかったのか。彼女はそれで幸せだったのか?満足なのか。そうすることで。何かを伝えようとしたのか。それは伝わっているのか。
 
 
〈ホームレス生活 遺書に「宗教団体に追われている」〉
 
まるで私は、森の中に撒かれていあるトウモロコシの粒をついばんでいる動物のようだ。“宗教団体” “ホームレス” そして “指揮者と名乗る” という草の上にばら撒かれた一粒一粒のトウモロコシ。それをおびき寄せられているような錯覚を覚える。江越ははっきりとした口調でこう言った。うまく言葉では言い表せませんが、何か死んだ女の子の強い意志を感じるんです」
 
男性の名前はチバ・ノリヒサ(千葉師久)。女性の名前はワタナベ・カミ(渡辺日実)。女性は建築関係専攻の留学生で、二人はルーマニアで出会い、今年3月にウィーンに来た。だが、二人はホームレス状態で、市内のカルメル教会の世話になっていた。その教会に二人の遺書とパスポートが残されていたんです。(地元オーストリア人記者)
 
出会ってから死ぬまでに、わずか8ヶ月しか経っていない。高校を卒業し、母親の母国であるルーマニアの大学に留学した少女が、その年のクリスマスに指揮者と称する青年と出会い、翌年の夏に心中自殺を遂げる、その時間のあまりの短さに驚くのである。彼女はすべてを覚悟して、それを承知の上で自らの命を犠牲にしたのではないか。それが、私の直感だった。そして、そうであるならばそれを証明してみたいと思った。
 
「智也の愛人になっとくよ。私、結婚はいやだから。愛人は裏切られないけど、結婚したら男は女を裏切るから」18歳の女の子の受けた傷は大人が想像しているよりもはるかに深かったのかもしれない。
 
わかったことがあるとすれば、その中から必ずそれと同じだけわからないことが生まれてくる。結局のところ取材はいつも、その果てることのない繰り返しなのである。
 
千葉は33歳でこの世を去ったそれは彼がよく聴いていたリパッティ白血病で病死した歳と同じではないかー。日実は「19歳で死ぬ」という予感を抱いていたそして千葉も「33歳」という年齢に、なんらかの感慨を持っていた。その二人が日本からはるかに離れたルーマニアの小さな町で、その年令になる直前、偶然に出会った。まるで運命の糸に操られるように。
 
妄想への同化ー。そうすることが、日実にとって千葉を愛することの証明だったというのか。18歳の日実には、際限なく同化していってしまう自分を止める術がなかったのだろうか。
 
日実は千葉が指揮者でも指揮者の卵でもないことを、おそらくはこの時点で知っいていたろう。楽家を目指しているという彼が、完全に行き詰まっていることも、またそのための何の努力もしていないことも、三ヶ月も一緒にいて、それがわからないはずはない。日実はこう考えていたのではないか。自分は、自分だけは、とにかく千葉を信じよう。彼を守り、深く愛そう。狂言も妄想も嘘も発作も、すべてを踏まえ、そしてすべてを含めて、千葉を愛するのだ。苦しみから彼を救い出すのだ。なぜならば、それが自分にとって失うことのできない初めての愛なのだから
 
日実と二人でいるときの千葉は別人のように見えた。それはまるで日実によって浄化され清められているような印象だった。日実の心の底にある純粋さがおうして千葉をも浄化し、そして苦悩を救っているのである。二人でいることで、日実と千葉は完全なものになろうとしている。弱点を補い合い、愛情を注ぎ合い、苦しいけれど生きていくための努力もできるのである。
 
「病院ですれちがったときの二人の光景が、まるで一枚の写真のを切り抜いたように私の心に鮮明に輝いているというディコビッチの言葉が私の胸に蘇ってくる。そして発作に耐える千葉の体を母親のような優しさでさすり続けている日実の姿。慰め合い、支え合い、そして愛し合いながら、千葉と日実は懸命に生きてきたのだ。初めての恋人。生まれて初めて精神も肉体も、日実がそのすべてを捧げる気持ちになれた千葉師久。日実にとって彼が、指揮者であろうとなかろうと、これから何を目指しどんな生活設計を描いていたとしても、それは大きな問題ではなかったのだと思う。千葉を愛すること。心の底から尊敬し、信頼し、愛する。日実はそんな自分を信じていたかったのだと思う。まだわずか19歳である。しかし、その胸に宿る思いは深く、最後まで動じることはなかった
 
おそらく千葉の人生にとってもこんなに健気に純粋に自分を愛してくれる人間に出会ったのは初めてのことだったろう。自分の妄想や嘘の中にまで、肉体こと入り込んできて、必死に支えようとしてくれる、19歳の少女。少女であり、恋人であり、そして最後は母親でもあった。
 
・ドナウはただ大らかに流れ、沈黙を守っている。肉体はやがて朽ち果て、際限なく腐乱していくのだろう。誰もそれを止めることはできない。七日間も川面をさまよい続け、日実よ、君はいったいどこへ流れていきたかったというのだろうか。その命を犠牲にして、この世に何を残したかったのか私は小さく祈っている。小さく、情けなく、でも祈っている。
 
肉体はたとえ朽ち果てようとも、君の愛した心が、人を信じた心が、悠久に流れ続けることを。君も嘘とよく知っていただろう33歳の自称指揮者を見捨てることもできずに、彼を守るために、わずか19歳の健全な精神と美しい肉体を捧げたその犠牲の心がどこかに流れついていくことを。君は、この川がやがて君の母の国に流れていくことを知っていたのだろうか。あれほどに忌避したルーマニアに向かっていくことを。
 
私は祈っている。命を捧げて人を守ろうとして君の清らなな心が、きっとどこかに流れいくだろうことを。ゆるやかに、静かに、やがて多くの人々の心に流れついてゆくことを。ドナウよ、静かに流れよ。千葉師久と渡辺日実。命をかけて愛し合った若い二人の、悔しさや悲しみや痛みを静かに流してほしい。関わったすべての人々の悲しみとともに、そして願わくは、少女の胸に宿ったいたわりと愛といつくしみだけでその大いなる川面を満たしてほしい。19歳の渡辺日実の胸に宿った、抱えきれないほどの大きな愛で…てん。ドナウよ、静かに流れよ。優しく、静かに。そして、果てしなく。
 
 
「江越克将(アマゾン在住。第一回将棋世界世界選手権ブラジル代表、師匠は森信雄六段)」「ルーマニア人の渡辺マリアの娘」「吉田純子のスナック「一歩」ゴールデン街)」「同級生=小笠原一也の死」」など。
 
あまりに美しい……そして切ない……。ワタシも大崎さんと同じ。会ってもいない日実になぜか惹かれ、恋愛のような感情をいだいていた……。ピュアすぎる。そして運命というものを感じざるをえない。たった一行の記事の背景にこんなストーリーが隠されていたとは!?……感動の一冊。超オススメです。(・∀・)♪
 
 

 

「あやうく一生懸命生きるところだった」(ハ・ワン)

昨年夏に入院したときに、看護師さんからたびたびいわれたコトバ、「ガンバらないでください。ムリしないでください。努力しないでください」( ゚д゚)ハッ!
 
そのとき思った。もうガンバるのはやめようと。そんなときに出会ったのがこの本のタイトル!!!いいねえ〜!!!( ・∀・)イイ!!


「こんなに一生懸命生きているのに、自分の人生はなんでこうも冴えないんだ」と、
やりきれない気持ちが限界に達し、40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞め、「一生懸命生きない」と決めた著者」そのエッセンスを紹介しよう。


・そもそも「物語」が好きだ。小説や漫画に限らず、映画も大好きだし、酒の席で誰かが話す物語を聞くのも好き。物語中毒と呼んでもいい。なぜ、そんなに物語が好きなのか。物語は、人生だからだ。物語の中には多様な人生があるだから気になるし、面白い。僕は人生中毒だともいえる。
 
誰にでも、目に見えるもの以上の多くの物語がある。俺の若い頃はな……」で始まるオジサンたちの武勇伝にも、自分の物語を忘れないための悪あがきではないか。今は冴えない自分にも、輝いていた時代があったんだ。俺にも物語があったんだ。こう叫んでいるのではないか。たくさんの物語を知ることは、より多くの理解を得ることにつながる。自分ひとり分の人生では物語が足りない。ゆえに理解も不足する。生き方、世の中、他人を理解できずに苦労する。だから人間は、物語を発明したのかもしれない。なんて素敵な発明なのだろう。
 
「一生懸命」という言葉には、嫌いなことを我慢してやり遂げるという意味が含まれている。つまり、楽しくはないのだ。だから、一生懸命生きるのはつらい。それは我慢の人生だから。同じ人生、どうせなら「一生懸命」より「楽しく」のほうがいい。「天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てない」なるほど、まさにそうだ。
 
これからは一生懸命頑張る人生は終わりだ。耐えしのぶ人生は十分に生きた。結果のために耐えるだけの生き方じゃダメだ。過程そのものが楽しみなのだ。僕は、今をしっかりと楽しんでいる。
 
ふぅ、あやうく一生懸命生きるところだった。
 

( ゚д゚)ハッ!あやうく「ガンバるところ」だった!!!(笑)楽しく生きよう。超オススメです。(・∀・)