「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ドナウよ、静かに流れよ」(大崎善生)

ワタシが愛読する大崎善生さんの本。名作『聖の青春』からはじまり多くの著作を読んできたが、この本のタイトルはずっと気になっていたが、「ドナウ」という単語に、ちょっと距離を置いていて長い間読まなかった。ところが、ふっと読み始めた瞬間に惹き込まれた止められなくなってしまい、一気に完読してしまった!!!……感動……。今年のベスト10入り、決定だね〜!!!これほど、タイトルと読む前と、読後のギャップを感じた本はない。切なさというか虚しさというか、純愛を感じた本はない!
 
「留学中にドナウ川へ身を投じた十九歳の少女。その死を報じる小さな記事に衝き動かされた私は、運命に導かれ彼女の短すぎる生を追う旅に出た。衝撃の大河ノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。


〈邦人男女、ドナウで心中 33歳指揮者と19歳女子大生 ウィーン〉
 
いま読み返しても何もかも判然としない、曖昧模糊とした記事である。必要なことが書かれているようで、しかし肝心なことは何もわからない。う書いてはいけないという新聞記事の悪例のような文章である。なぜ33歳男性の実名が報道されないのだろうか。19歳の女子大生が、いったいなぜドナウ川に身を投げなければならないのだろうか。しかも30キロも離れた場所から。入水という自殺方法も印象的だった。あの新聞報道が意図的に情報を隠匿しているように思えて仕方なくなってくる。行間から滲んでくるような、何かを隠そうとしているような論調。
 
この報道が何なのか。彼らは何者なのか。背景にどんなことが隠されているのか本当に事件ではないと言い切れるのか。なぜ少女は19歳で、その肉体と精神を捧げなければならなかったのか。彼女はそれで幸せだったのか?満足なのか。そうすることで。何かを伝えようとしたのか。それは伝わっているのか。
 
 
〈ホームレス生活 遺書に「宗教団体に追われている」〉
 
まるで私は、森の中に撒かれていあるトウモロコシの粒をついばんでいる動物のようだ。“宗教団体” “ホームレス” そして “指揮者と名乗る” という草の上にばら撒かれた一粒一粒のトウモロコシ。それをおびき寄せられているような錯覚を覚える。江越ははっきりとした口調でこう言った。うまく言葉では言い表せませんが、何か死んだ女の子の強い意志を感じるんです」
 
男性の名前はチバ・ノリヒサ(千葉師久)。女性の名前はワタナベ・カミ(渡辺日実)。女性は建築関係専攻の留学生で、二人はルーマニアで出会い、今年3月にウィーンに来た。だが、二人はホームレス状態で、市内のカルメル教会の世話になっていた。その教会に二人の遺書とパスポートが残されていたんです。(地元オーストリア人記者)
 
出会ってから死ぬまでに、わずか8ヶ月しか経っていない。高校を卒業し、母親の母国であるルーマニアの大学に留学した少女が、その年のクリスマスに指揮者と称する青年と出会い、翌年の夏に心中自殺を遂げる、その時間のあまりの短さに驚くのである。彼女はすべてを覚悟して、それを承知の上で自らの命を犠牲にしたのではないか。それが、私の直感だった。そして、そうであるならばそれを証明してみたいと思った。
 
「智也の愛人になっとくよ。私、結婚はいやだから。愛人は裏切られないけど、結婚したら男は女を裏切るから」18歳の女の子の受けた傷は大人が想像しているよりもはるかに深かったのかもしれない。
 
わかったことがあるとすれば、その中から必ずそれと同じだけわからないことが生まれてくる。結局のところ取材はいつも、その果てることのない繰り返しなのである。
 
千葉は33歳でこの世を去ったそれは彼がよく聴いていたリパッティ白血病で病死した歳と同じではないかー。日実は「19歳で死ぬ」という予感を抱いていたそして千葉も「33歳」という年齢に、なんらかの感慨を持っていた。その二人が日本からはるかに離れたルーマニアの小さな町で、その年令になる直前、偶然に出会った。まるで運命の糸に操られるように。
 
妄想への同化ー。そうすることが、日実にとって千葉を愛することの証明だったというのか。18歳の日実には、際限なく同化していってしまう自分を止める術がなかったのだろうか。
 
日実は千葉が指揮者でも指揮者の卵でもないことを、おそらくはこの時点で知っいていたろう。楽家を目指しているという彼が、完全に行き詰まっていることも、またそのための何の努力もしていないことも、三ヶ月も一緒にいて、それがわからないはずはない。日実はこう考えていたのではないか。自分は、自分だけは、とにかく千葉を信じよう。彼を守り、深く愛そう。狂言も妄想も嘘も発作も、すべてを踏まえ、そしてすべてを含めて、千葉を愛するのだ。苦しみから彼を救い出すのだ。なぜならば、それが自分にとって失うことのできない初めての愛なのだから
 
日実と二人でいるときの千葉は別人のように見えた。それはまるで日実によって浄化され清められているような印象だった。日実の心の底にある純粋さがおうして千葉をも浄化し、そして苦悩を救っているのである。二人でいることで、日実と千葉は完全なものになろうとしている。弱点を補い合い、愛情を注ぎ合い、苦しいけれど生きていくための努力もできるのである。
 
「病院ですれちがったときの二人の光景が、まるで一枚の写真のを切り抜いたように私の心に鮮明に輝いているというディコビッチの言葉が私の胸に蘇ってくる。そして発作に耐える千葉の体を母親のような優しさでさすり続けている日実の姿。慰め合い、支え合い、そして愛し合いながら、千葉と日実は懸命に生きてきたのだ。初めての恋人。生まれて初めて精神も肉体も、日実がそのすべてを捧げる気持ちになれた千葉師久。日実にとって彼が、指揮者であろうとなかろうと、これから何を目指しどんな生活設計を描いていたとしても、それは大きな問題ではなかったのだと思う。千葉を愛すること。心の底から尊敬し、信頼し、愛する。日実はそんな自分を信じていたかったのだと思う。まだわずか19歳である。しかし、その胸に宿る思いは深く、最後まで動じることはなかった
 
おそらく千葉の人生にとってもこんなに健気に純粋に自分を愛してくれる人間に出会ったのは初めてのことだったろう。自分の妄想や嘘の中にまで、肉体こと入り込んできて、必死に支えようとしてくれる、19歳の少女。少女であり、恋人であり、そして最後は母親でもあった。
 
・ドナウはただ大らかに流れ、沈黙を守っている。肉体はやがて朽ち果て、際限なく腐乱していくのだろう。誰もそれを止めることはできない。七日間も川面をさまよい続け、日実よ、君はいったいどこへ流れていきたかったというのだろうか。その命を犠牲にして、この世に何を残したかったのか私は小さく祈っている。小さく、情けなく、でも祈っている。
 
肉体はたとえ朽ち果てようとも、君の愛した心が、人を信じた心が、悠久に流れ続けることを。君も嘘とよく知っていただろう33歳の自称指揮者を見捨てることもできずに、彼を守るために、わずか19歳の健全な精神と美しい肉体を捧げたその犠牲の心がどこかに流れついていくことを。君は、この川がやがて君の母の国に流れていくことを知っていたのだろうか。あれほどに忌避したルーマニアに向かっていくことを。
 
私は祈っている。命を捧げて人を守ろうとして君の清らなな心が、きっとどこかに流れいくだろうことを。ゆるやかに、静かに、やがて多くの人々の心に流れついてゆくことを。ドナウよ、静かに流れよ。千葉師久と渡辺日実。命をかけて愛し合った若い二人の、悔しさや悲しみや痛みを静かに流してほしい。関わったすべての人々の悲しみとともに、そして願わくは、少女の胸に宿ったいたわりと愛といつくしみだけでその大いなる川面を満たしてほしい。19歳の渡辺日実の胸に宿った、抱えきれないほどの大きな愛で…てん。ドナウよ、静かに流れよ。優しく、静かに。そして、果てしなく。
 
 
「江越克将(アマゾン在住。第一回将棋世界世界選手権ブラジル代表、師匠は森信雄六段)」「ルーマニア人の渡辺マリアの娘」「吉田純子のスナック「一歩」ゴールデン街)」「同級生=小笠原一也の死」」など。
 
あまりに美しい……そして切ない……。ワタシも大崎さんと同じ。会ってもいない日実になぜか惹かれ、恋愛のような感情をいだいていた……。ピュアすぎる。そして運命というものを感じざるをえない。たった一行の記事の背景にこんなストーリーが隠されていたとは!?……感動の一冊。超オススメです。(・∀・)♪