「中二階のオフィスへエスカレーターで戻る途中のサラリーマンがめぐらす超ミクロ的考察。靴紐が左右同時期に切れるのはなぜか。牛乳の容器が瓶からカートンに変わったときの素敵な衝撃。ミシン目を発明した人間への熱狂的賛辞等々、これまで誰も書こうとしなかった愉快ですごーく細かい小説」その解説がまたユニークでオモシロイ!紹介しよう。
・ベイカーの『中二階』が差し出したのは、「大きいー小さい」 のレベルと超越し、“極小(ナノ)文字”とでも呼びたいような、 新しいスケールの小説世界だった。そしてそこには、 今までどんな小説も表現しえなかったような、 全くあたらしい種類の美があったのだ。たとえて言うなら、 雄大な山脈の写真と、一輪の花のアップの写真と、 どちらを壁に掛けようかと迷っていたら、 こんなものもありますよと、 電子顕微鏡でとらえた素晴らしく鮮明な原子の写真をいきなり突き つけられたーそんな感じの驚きだ。
・一人の男が、オフィス・ビルのエスカレーターを昇っていく。 彼は昼休みの直前に靴ひもが切れたので、 昼食を取るついでにドラッグストアに寄って新しい靴ひもを買い、 ふたたびオフィスのある中二階に戻ってくるところだ。『中二階』 は、その語り手が、 エスカレーターに向かって足を踏み出すところで始まり、 エスカレーターを降りて中二階に立つところで終わる。 その何十秒かの間に彼の脳裏をよぎったさまざまな事柄ーもっと正 確に言うならば、 数年前のその何十秒かの体験を正確に再現しようとする語り手の頭 に浮かんだ事柄ーだけで、この小説は成り立っているのだ。 日常生活のごくごく些細な事柄に関する、 ほとんどミクロ的視点の考察である。
・この本のただならぬことろは、 そういった日常の些細な事物に終始しながら、 最初から最後まで緊迫感を失わず、ユーモラスで美しく、 ときにスリリングでさえある点だ。牛乳の紙パック、ホチキス、 自動販売機、ポップコーン、耳栓、 シャンプーーそういった日用品の一つひとつをめぐって繰り広げら れる言葉のバレエには目を見張らされる。 ニコルソン・ベイカーという人は、 自分を取り巻く世界に驚いたり感動したりする能力を、 子供のころのままずっと保ち続けている作家である。“ 歴史に記録されることのない日々の生活の手触り” に向けることにこだわり続けている点である。
いいなあ……こんな表現したかったなあ。ワタシが書きたかったなあ!ニコルソン・ベイカー、オモシロイわ。他の本も読んでみよ!オススメです。(・∀・)