「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「のはなし に 〜カニの巻〜」(伊集院光)

このシリーズ、オモシロすぎっ!!!笑える。コトバの使い方と表現の達人だねー!さすが元落語家っ!!!!(=^・^=)
 
「アウトセーフ」の話から「んまーい!」の話まで全86話。どこから読んでも楽しめます。あっという間に読めます。奇声を上げて過度にダメな人を演じているようにみえるラジオの伊集院とも、無駄に汗をかきながらニコニコして過度に良い人を演じているように見えるテレビの伊集院とも違う、面白い事物を誠実に伝える「のはなし」の伊集院が贈る珠玉のエッセイです。本人撮りおろしの“お宝”写真付き」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・「G馬場」の話
 
昔、ビールの年間生産高など途方もない量を譬えるのにいった霞が関ビル何杯分」という言葉はすぐに廃れてしまった(今は東京ドーム何杯分』が主流)が、 「そいつのでかさときたらジャイアント馬場』かと思った」は現役だ。それも月日が経つうちに「生馬場を知らない子供たち」の台頭とともに消えていくのだろうか。 寂しい話だ。「『川合俊一』かと思った」では表わせない『大きさ』がそこにあるというのに。
 
さほどプロレスファンでもない僕だが、師匠・三遊亭楽太郎が氏と深い親交があり、やれ麻雀だゴルフだと二人が集う現場に師匠のカバン持ちとして同席させてもらうことがしばしばあったからだ。
 
初めてお会いしたときのこと。あれは師匠のお使いで全日本プロレスのオフィスまで伺ったときだったか……緊張する僕を見るなり「……足……でかいな……」と馬場さん。確かに僕の靴のサイズは31センチと巨大だが、天下の「16文キック」からそういわれるとは思わなかった。「……何センチある?」「31センチです!」「……靴。たいへんだろ」 という会話の後、おもむろに受話器をとり、どこかへ電話をかける馬場さん。
 
「もしもし。馬場だけど、一足お願いしたいんだ。黒の革靴、31センチ。デザインは任せる。なるべく丈夫なのを
 
電話を切り「僕も若い頃スパイクで苦労したんだよ」といって笑う馬場さん。初対面の僕に行きつけの店であつらえた革靴をプレゼントしてくれというのだ。突然の出来事、しかもプロ野球選手時代のエピソード付き」に感激するやら恐縮するやら驚いている伊集院光、いや、当時17歳の駄デブに走り書きの地図を渡しひと月後に取りに行きなさい」と笑う大巨人。ありがとうございます」と頭を下げてオフィスを出てすぐさま師匠に報告。 地図を見ると、いたってシンプルな線と「空港」とかかれた目印があるだけ。「はてここはどこだろう?」目的の靴屋さんの名前と電話番号もちょいとおかしい。いろいろ調べてみると、そこはハワイの靴屋で目印はホノルル空港だった。
 
カバン持ちの、まして「靴を買うのにも苦労する身分」には革靴以上にハワイは遠い。世界の馬場にとってはすぐそこの行きつけの靴屋さん」なのだろうが、おいそれと行けるはずもない。結局師匠が海外旅行に行ったついでに取って来てくれた。
 
ジャイアント馬場が金を出し、三遊亭楽太郎が取りに行った靴」はまぶしすぎて、 新品のまま今も実家に眠っている。
 
川合俊一」 や「和田アキ子」や「ムルアカ氏」では駄目なのだ。「ジャイアント馬場の持つ宇宙的スケールのみがなせる技だと思うのだが。
 
伊集院光 → 二十人叱る → ヒンズー寺院に春 → ピンク写真を貼る → パンツたたんでいる → ハンズでたたずんでいる → ベンチで微笑んでいる → ベランダで母が呼んでる → ラベンダーの花が萎んでいく → 黄レンジャーの腹は脂肪である → 綺麗な野原で死亡 → 嫌いなのはラディッシュとゴボウ → 「ウクライナは嫌です」と逃亡 → 写らないやストロボ焚こう  お暇な方は続きを考えてみてください  
 
・敬語に関しては落語家修行時代に師匠からみっちり教え込まれた。特に言葉の芸であり、伝統と礼節の世界であるから厳しかった。ある時、兄弟子が舞台の上で「 (松田)聖子チャンが……」と話していたのを楽屋に来ていた円楽師匠が聞いていて、戻ってきた兄弟子に一言。「お前は彼女より年下だろう。『松田さん』といいなさい。これには兄弟子ほとほと困っていた。聖子ちゃんカット」「松田さんカット」では、なんのことやらわからない。いくら何でもやり過ぎだろう。
 
 
「変な子供」の話
 
子役タレントは大抵の場合気持ちが悪い。子供自体は嫌いではない僕だが、いつもそう思う。5歳なのに「おはようございます。劇団××(所属事務所)から来ました○○(その子の名前、しかもフルネーム)と申します。今日はよろしくお願いします」とか笑顔満面でいう。30歳のこっちがろくすっぽ挨拶できないのに。
 
「将来の夢」とか聞くとキチンと「女優になりたいです」とかいう。こっちがそんなこと聞かれたら「まだわかりませーん」だ。友人の5歳の子供は岐阜になりたい」 といった。理由は「おばあちゃんが住んでるから」だ。こっちのほうが良い。
 
勿論そんなに気持ち悪くない子役もいる。「岐阜になる」ほどの野望は持っていない「女優かケーキ」といったりする。「女優になりたい」というお約束はマスターしたが「洋菓子になる」も捨て切れていない子だ。これは結構良い。が、すぐさま隣にいたお母さんが「違うでしょ」とかいう。この時たしなめられているのは「女優」 のほうじゃない。大抵「ケーキは諦めなさい」ということだ。気持ちが悪い子役は大抵お母さんが気持ちが悪い。芸能界の経験もないのに、自分の中で凝り固まった「芸能界ではこういう子供が受ける」みたいなものがあって、それを子供に押し付ける。 開口一番「伊集院さんと会うのを楽しみにしてました」とかいわせる。そんな子供は気持ちが悪い。普通5歳児が僕を見たら「すげえデブってるねえ」とかいうだろう。 そのほうが正しい。軽く蹴るけど正しい。もしその上をいく母親がいたら「何を聞かれても『おじさん岐阜行ったことある?」といいなさい、大抵のり切れるから」とアドバイスすべきだ。
 
普通の5歳児の魅力は「何を考えているのか、何をしでかすかわからないところ」なのに、私の友人は小学生のころ、共演する大人の俳優を見てはこの人の演技は思い切りが悪いな、きっと大成しないわね」とか思ってる可愛げのない子供だったわ」といっていたが、子役をあきらめた子供は、可愛げだけを失って、いびつな大人になっていくのではないかと心配になる。全国の我が子を子役タレントにしたがっているお父さんお母さんう思います? 別に僕の子供じゃないからいいけど。
 
その他、「新聞」の話、「英会話」の話、「オムライス」の話、「回転寿司」の話、「家族旅行」の話、「噛み」の話(タニシ長者)、「缶詰」の話(鮭の中骨缶)「検査」の話、「合コンノウハウ」の話、「言葉遣い」の話、「名言」の話、などなど。
 
このシリーズは、東海林さだおセンセイ「丸かじり」と並ぶシリーズになるかも!?超オススメです。(=^・^=)