我が故郷、新潟県が生んだ巨人「ジャイアント馬場」。子どものころは、梶原一騎原作の「ジャイアント台風」ってマンガもあったくらいだからね。
その馬場さんがジャイアンツの投手だったことは知っているが、その詳細がこの本で明らかになった!オモシロイ!!!
「国民的スター“ジャイアント馬場"の知られざる野球時代。新潟三条での青春時代、モルモン教との出会い、難病“巨人症"との闘い、憧れの読売巨人軍入団、長嶋茂雄・王貞治との交流、プロの壁、成功率1%の大手術、二軍での馬場旋風、早すぎる引退。偉大なプロレスラー・ジャイアント馬場の「野球選手」としての実像に迫る」そのエッセンスを紹介しよう。
・脳下垂体腺腫(下垂体腺腫)は、良性の腫瘍、遺伝でもなく原因がはっきりしない。巨人症は「成長ホルモン産生腫瘍」。手足の先端が巨大化し、顔の形が変化する。額や顎が突き出て、手足が肥大化する。宝くじで一等に当たる確率は、約10万人に一人下垂体性の巨人症(アクロ・ジャイガンティズム)は、2000万人に一人、年に5,6人しか発症しない。まさに「運命の子」。馬場正平は、まさに「神に選ばれし子」だったのだ。
・一度はあきらめた野球。野球部長が特注のスパイクを発注。2年生の春に野球部をに入部。今、思うと、かなり不思議だ。馬場は、エースになって甲子園の予選に出るが、夏に敗退。硬球で野球をしたのは、3ヶ月に過ぎない。なのに、その年の秋にはスカウトの目に止まり、讀賣巨人軍に入団しているのだ。こうした浅いキャリアでのプロ入りは、全くの異例。森昌彦(森祇晶)と同期。野村克也は前年の入団。
・馬場は、めぼしい選手へのアプローチが終わった後の「落穂ひろい」のひとりだったと思わえる。支度金20万円、初任給1万2000円(当時の大卒初任給は、5700円)。前年入団した野村克也は支度金20万なしの月給7000円。巨人がスカウトした新人選手としては最低ランクだった。それでも馬場家はこれまで目にしたことがないような大金を手にすることとなった。1月生まれの馬場はまだ16歳だった。球界最年少。
・馬場正平は、常人にはまったく想像がつかないこうした深い悩みを抱えつつ、アスリートとして、また経営者として世の中に全身をさらし、発言し、人々の尊敬を勝ち得ていたのだ。こういう人物はおそらく空前絶後だと思う。
・プロ野球入りして5年、 馬場正平には自らの置かれた境遇がはっきりとわかっていたのだろう。川上哲治、杉下茂、 長嶋茂雄などの才能にあふれた大選手を見るにつけ、 自らの才能の限界を感じていたのではないか。また「水原あやまれ事件」などのお家騒動でも、 馬場はうまく立ち回ることができなかった。
馬場は、巨人軍にいた5年間で、 人間関係で悩んだことはなかったと言っている。 特に投手仲間とは仲良く付き合ったが、 そういう態度が首脳陣からは「意欲に欠ける」と見られることもあった。あとになって「俺の敵はこいつら(同僚の投手)だったんだ」 と気がついたというが、そうした純朴さ、人の良さは、 競争の激しいプロ向きとは言えなかった。
・下垂体性巨人症という宿痾にとりつかれ、 一般社会では生きにくい運命をまといながら歩んだ馬場の青春時代 は、ともすれば暗色だったと思いがちだ。しかし、 こうして彼の半生を追いかけて思うのは、彼の青春は、 決して暗くはなかったということだ。常に馬場正平は前向きで、ひたむきだった。そして明るかった。
・馬場正平のプロ野球人生は5年で幕を閉じた。 当時のプロ野球選手は平均すれば3,5 年で球界を去っていたから、決して短いわけではない。しかし公式戦わずか3試合、0勝1敗は、完全燃焼からは程遠い。いろいろな選択肢があったが、 馬場は最終的にプロレスラーの道を歩んだ。翌年4月に馬場正平は、力道山に入門する。 ヒンズースクワット100回を命じられて、 即座にやってみせて、一発で合格したという。馬場と力道山は旧知の間柄。 巨人軍時代に馬場は力道山から勧誘されたこともあった。周囲からは既定路線のように思われていたが、 馬場自身にはそれなりの屈託があったようだ。
「俺はそれまで背伸びをして歩いたことがなかった。こどもの頃から背がでかいことが俺の大きなコンプレックスになっていた。 背を丸めて猫背になったりね……。 下向いて歩く癖がいつの間にかついていたんですよ。 それがニューヨークへ行って、 本当に背伸びして胸を張って歩けるようになった。 特注じゃなくても俺に合う洋服や靴が買えたしね。ああ、 レスラーになってよかったと、しみじみ思ったねえ」
背が伸びはじめて以来、何とかして目立つまい、 と人と人の間に顔をうずめてきた少年は、プロ野球に入って、 その巨体を世間にさらすことになった。しかし人並み外れた長身は、 野球をする上では宝の持ち腐れだった。むしろ体が大きすぎるために、馬場は常に評価が低かった。 メディアは馬場正平を、球界の道化師のように扱った。
彼はもう迷わなかった。61歳で世を去るまで、 プロレスラーとして一筋の道を歩んだ。 曲折を経て、馬場正平は天職を見つけたのだ。
「力士になる運命だった昔の巨人」「アスリートタイプの巨人ー巨人強剛力士」「野球芸人と蔑まれた職業野球」「杉下茂の200勝が掛かった試合での水原監督の非情な采配」「馬場正平が巨人軍の一員になった時代は「長嶋茂雄前夜」「長嶋の登場ですべてが変わった」「馬場は二軍最大のスター」「投手、馬場正平の真価とは」など。
いいなあ、馬場さん。よくぞこの本を残してくれました!この本と併せて読もうっ!
野球ファン、格闘技ファン必読っ。「長嶋茂雄前夜」のプロ野球を知るにも良い資料です。超オススメです。(=^・^=)