「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「居場所。」(よしもとの会長 大﨑洋)

吉本興業の闇営業疑惑と岡本社長の記者会見から5年かあ。時の経つのは早いなあ。ワタシはこの本を見て、ああ、あのときの記者会見のことを書いてるのかあ、と思ったら著者は、会長の大﨑さんだった。そういえば松ちゃんは、どうしているんだろう!?
 

ダウンタウンを見出し、活躍の場をつくり、ともに歩みつづけた吉本興業のトップがはじめて語る「生きづらさ」の処方箋。激動の人生を歩んだ著者が、自分や大切な人たちの「居場所」をつくるために心がけてきた12の「しないこと」とは」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・松本くんは1期生として吉本総合芸能学院NSCを卒業。デビューしたばかり。こう書くと若き日の感性バリバリのまっちゃん」的な想像をする人がいるかもしれませんが、それはかなりえこひいきが入った誤解です。 ガラが悪くて、暗そうで、ふてくされて。 すでに浜田雅功くんと組んでいましたが、コンビ名は「松本・浜田」、そう、ちゃんとしたコンビ名じゃない。吉本社内でもどの放送局でも評価されず、まるで仕事がなくてくすぶっていました。まだダウンタウンにすらなっていない、何者でもなかった頃です。
 
・松本くんと僕、そんな情けない男二人が連れ立って、旅をしていました。たしかあれは岡山の小さなふるーい旅館でした。なんでまた旅をしたのか経緯は忘れてしまいましたが、お笑いのことや未来のこと、くだらないこと、いろんなことをえんえんと話し続けた気がします。
 
・松本くんは松本くんで、鬱々としていました。「絶対に、こいつらはおもろい」僕は稽古場で松本くんと浜田くんのコンビをひと目見た瞬間から直感しており、だ からこそ頼まれてもいないのにマネージャーを買って出ました。会社に断りもなく、勝手にやってたんです。
 
二人はもちろん、自分たちのお笑いをつよく信じていました――だけど、まったく
評価されず、芽が出ない。劇場やテレビに呼ばれるのは、同期のトミーズやハイヒールだけ。たまに声がかかっても、わけわからんネタや」とお客さんはドン引き。そうなると、居場所がありません。まあ、居場所がないという点は、ダメ社員だった僕も同じでした。
 
・この本は、居場所についての本です。あの時、息継ぎせずに泳ぎ切った「約束」がとうなったのかって――その話はもう少しあとで書くことにします。
 
松本くんや浜田くんや僕の共通点、「居場所」の話をしようと思います。 あの頃、ダウンタウンの二人は、ほんの少し先のほうに光が確実に見えているのに、いくら手を伸ばしても届かない」という状態でした。会社にもお客さんにもおもってもらえず、なんば花月うめだ花月京都花月の舞台や楽屋にも居ませんでした。
 
僕も、会社で居場所がありませんでした。 居場所がない者同士がつるんだところで、よるべのなさ、不信、不安が消えたわけじゃありません。 でも、松本くんは「お笑い」という唯一の武器を手にして、居場所をつくろうとしていた。そして咲かせる花などない平凡な僕は、その花が咲く場所をつくろうとして そんな僕の仕事は一人ひとりの「居場所」をつくること。
 
今も、あの頃の松本くんのような芸人がたくさんいます。明治から昭和の芸人の多くは、学校や社会からはみ出し、ドロップアウトした人たちでした。どこにも居場所が見つからないけれどお笑いが好きで、しゃーないからお笑いでもしようか」と、唯一の選択肢としてこの道に入った人たちです。彼らは吉本 頼業の「劇場」に出番を持って、自分の居場所を見つけようと必死でした。昔ながら演芸場の舞台です。
 
・昭和の中頃に「テレビ」という舞台が登場。何度かのお笑いブームもあり、「NS Cでも入ろうか」という人も増えてきました。最近では、「自分、どこの世界に行っても大丈夫やろ?」というめちゃくちゃ優秀な芸人も目立っています。さらに、YouTubeTikTokという新たな舞台ができました。それでも、それぞれの居場所を探しているという点は、変わっていないように 思います。夢中でもがいて、がんばって、ツキにも恵まれて。なんとか居場所を見つけてスボ ットライトを浴びても、それが永遠じゃないのは想像がつきますよね。
 
・輝き続ける芸人もいれば、スポットライトが当たらなくなり、表舞台から姿を消えていく人たちが大半です。 時代が変わっても状況が変わっても、居場所を見つけた人よりも、見つけられずに 困っている人のほうがはるかに多い。
 
「ここなら本当の自分自身になれる。そんな居場所を見つけたい」 これって芸人も学生も若手社員も定年を過ぎた人たちも抱く、同じ願いではないではないでしょうか。居場所を探すって、芸人だけの話ではありません。学校で、職場で、家庭で、どこにも心の置き場がない人ってたくさんいると感じています。幼い子供たちや若い人たちはもちろん、60歳を過ぎても居場所が見つけられない人は結構います。
 
僕自身、ずっと居場所がなかったし、今もここが俺の居場所や!」と信じられる ところを、心のすみっこのどこかで探しているような気がします。「自分にしかできない何かを見つけ出したい、自分の居場所を見つけたい」と、もがいて、夢中でもがいて、がんばって、ツキにも恵まれて。なんとか居場所を見つけてスボットライトを浴びても、それが永遠じゃないのは想像がつきますよね。
 
・輝き続ける芸人もいれば、スポットライトが当たらなくなり、表舞台から姿を消えていく人たちが大半です。 時代が変わっても状況が変わっても、居場所を見つけた人よりも、見つけられずに 困っている人のほうがはるかに多い。だからこそ、自分の仕事は芸人の居場所をつくることだ」と腹が決まったのは、松本くんの前でざぶ〜んとプールに飛び込んだあの頃だったでしょうか。 これが10年以上、彼らを間近で眺めてきた僕がつよく思ったことであり、ひとつの信念です。
 
・そう、場所を変えればルールは変わります。土俵のルールは、唯一無二の絶対ルー ルではない。置かれた場所のルールに合わないなら、別の場所に行けばいい! ダウンタウンの場合も、そう考えました。「花月の舞台からスタート」という吉本の土俵からはみ出して、まずは大阪ローカル のラジオ番組を持ちました。さらに僕たちは、「心斎橋筋2丁目劇場」をオープン。吉本所有の小さいビルを改装し、「なんば花月の大劇場と真逆のコンセプトで始めものです。
 
・場所が合う・合わないは必然でも、ルールはそれぞれにあるから、自分が勝てるル ールもあれば、いくら努力してもボロ負け間違いなしのルールもあります。それなのに「小さくてもいいから、その場で絶対に花を咲かせろ」なんて無理な話です。 だからと言って、今いる場所を変えれば、花が咲くという保証もありません。転職が問題解決にならない多くの例を見ればわかるように、移った先にもルールがあって、 勝てるとは限らない。同じ物語の繰り返しならまだマシで、さらに悪くなることもあるはずです。
 
タンポポの綿毛みたいにふわふわ漂って、自由にいろんなところに行ってみる。 いきなり花を咲かせるなんて思わず、細くてちっぽけでもいいからほんの少し後をついていってみる。
 
芸人が漫才の道をあきらめても、人生の中で笑うことや笑わせることを続ければいい。ふわふわとしながら、でも『それぞれのやり方』で続けること、あきらめないことが大事だと思います。
 
 
「史上最低の記者会見」「リーダーが一番やってはいけない謝罪」聞かれようはさんざんなものでしたが、僕は正解だったと思っています。「正解だった」というのは、あの会見が素晴らしかったという意味ではまったくありません。難しい局面にもかかわらず、事前に岡本社長と相談した絶対に守るべき最低限のこと」は守り通せたという意味です。 最低限のことのひとつは、非上場にした際、株主になっていただいたテレビ局や各 企業に迷惑をかけないこと。もうひとつは、記者たちの誘導にはまらないこと。
 
居間のある家族のような会社。吉本がそういう存在になれたらいい。家族のような会社に、厳しいルールは邪魔なだけです。 そうやって居場所がない人に、居場所をつくる。 それが居場所のなかった僕の夢なんです
 

01 置かれた場所で咲こうとしない
02 孤独を見つめすぎない
03 競争しようとしない
04 限界までがんばろうとしない
05 白黒はっきりさせようとしない
06 友だちをつくろうとしない
07 相談しようとしない
08 目的地を決めようとしない
09 合理的にしすぎない
10 みんなにわかってもらおうとしない
11 ルールを決めすぎない
12 居場所を場所に求めない

 

なんかよく分かるなあ。「居場所」がない、なんて、昔からしょっちゅう経験しているもんなあ。いまは「てるてるソング」「流し」という居場所がある。もっと居場所を大きくしたいなあ。オススメです。(^^)