「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「二宮尊徳 −青少年のために−」(高田稔 二宮尊徳百二十年祭記念事業会)

 
小田原の実家に帰ってきています。本棚が崩れてしまったと母から連絡が。そのハナシを聞いて、ワタシは崩れ落ちました。(笑)片付けていたら出てきたのが、この本。はっきり覚えている桜井小学校5年か6年のときに、二宮尊徳先生の没後120周年祭のために全小中学校に配布されたものだ。
 
著者の高田稔さんは元白山中学校の校長なんだって。ちょっと読んだらこのページが目に入った。その一部を紹介しよう。
 
 
【天道と人道】
 
徳川時代は、いろいろな道徳や、君と臣の上下関係、親と子の上下関係というものは、日月の運行と同じように、天が与えた権威ある道(天道)であるから、動かすことのできない絶対のものとされていた。だから、天道に従うことが、人とし て守るべき道(人道)であるといわれた。だから、天道と人道は一緒なのだという考え方であった。
 
 
ところが尊徳は、それは別であるといっている。彼によれば、寒さがすぎれば 暑さがくる。夜があければ昼になる。万物が生ずれば、また滅びる。それは天道である。
 
また、天はすべての生物に恵みを与えるが善悪の心はもっていないから、稲と雑草の区別はしない。種のあるものはみな育てる。それを放っておけば、田は荒地にもどってしまう。 これが天道なのだ。人は天道にしたがって生れてきたけれども、米を作ることを善とし雑草をはこびこらせることを悪として、田から雑草をとりのぞくことに努力しなければならない。それが人道であるというのである。 尊徳のいう天道は自然の法則だから、放っておいても行われるが、人道は人間が意識して、目的をもって行なうことだから、努力しなければできない。
 
だから、こうもいっている。「天道に任せれば、堤はくずれ、川は埋まり、橋は朽ち、家はくさる。人道は、これに反し、堤を築き、川をさらえ、橋を修理し、屋根を葺きかえて雨のもらぬようにすることだ」
 
また、人間の心のうちにも天道の部分がある。利己心などがそれだ。そういう利己心に従って奪い合うことは鳥獣と同じ天道で、譲り合うことが人間にしかできない人道であるともいっている。このように、尊徳は人間のなかにある天道の部分と人道の部分を区別した
 
尊徳はこうして、一方で自然のめぐみを認めながらも、自然に対する人間の力 をつよく主張した。これは、彼が貧困のなかから立ちあがって、一家を再興し、多くの荒れた農村の立てなおしに成功したその自信からきたものであろう。

 

やっぱり「尊徳」勘定は大事だよね。(笑)やっぱり尊徳先生は偉大だ。非売品だけど、機会があれば手に入れて読んでください。オススメです。(^^)