「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「燦いた男たち プロ野球戦後人物史」(戸部良也)

 
今年の野球はなんといっても阿部巨人の初優勝もよかったけど、やっぱりメジャーの大谷翔平だったよね。これで三冠王なんてとっちゃったらもうマンガだよね。二冠で終わって良かったー!!!水谷一平のギャンブル事件なんて、なんのその。
 
さてこの本。いつも私たちをトキメカせてくれた野球界のスターたち。「三振を華にした男・長嶋茂雄、世界のフラミンゴ・王貞治、日本一の奪三振王・江夏豊…。きらめいた男たちのエピソードに、あなたのあのときが甦る。戦後のプロ野球史を彩った男たちの伝記
 
なかでも明治大学の大先輩、星野仙一さんのエピソードを紹介しよう。

 
星野仙一 燃えてー男でござる!】
 
 
星野のこれまでの人生は、節目ごとに“無念”を味わい、 それをバネにして飛躍しているように思える。彼の現役引退の日、初めて訪れた自宅でじっくりと語り合った。 その中で両親の話になったとき、
 
「ボクは父親がいなくて、母親と女のきょうだいという、女性ばかりの家庭で育った。だから、小さいときから、男は自分ひとりなの だから、女たちを守らなくては、という気があった」
 
といった。父がないのはボクも同じで、「ボクは生まれて二か月半で父親を亡くした」と話すと、彼は即座に「それはあなた、幸せ ですよ。ボクはおふくろのおなかにいるときに父親が亡くなったのだから」――。
 
このときから、星野とは妙な連帯感のようなものを抱くようになった。そして、思った。おそらく彼は小さいころから、“父親がいなくたって負けるものか”と胸の奥底に闘志をたぎらせ 続けたに違いないと。その負けん気が野球に走らせ、水島中学(岡山県水島市出身)ではすでにエースであった。高校は岡山県では強豪の倉敷商。ところがこのころ、岡山東には平松政次、関西高には森安敏明らがいて、ついに甲子園には出場できなかった。
 

 
そして明大に入ってからも、二年秋には対立大戦でノーヒットノーランを達成するなど、名将島岡吉郎の秘蔵っ子であったが、ついに大学四年間で優勝はなかった。同時期に早大八木沢荘六高橋直樹らの投手。法大に田淵幸一山本浩二富田勝強打三羽がらすがいたからである。いわば無念の学生野球であった。
 
・巨人のV9を支えた参謀役の牧野茂ーチから、仙一には脱帽する。彼こそエースだ。私のいう意味はプロのエースということだ」と褒められた。牧野コーチのいうのは、「エースの良い面である“おれにまかせろ」という点と悪い面、打たれると相手が悪いのだ”という図太すぎる点を兼ね持っている」ということで、 の話は星野も気に入っていたらしい。
 
ようやく打倒巨人を果たしたが、日本シリーズでロッテにやぶれた。ついに星野はこの年、優勝したにもかかわらず、喜びも悔しさ もぐっと飲み込んで、一度も涙を見せなかった。
 
そんな星野が初めて泣いたのが、昭和五二年四月五日だった。前年七月、中日球場の対広島戦で右足大腿に肉離れを起こし、後半戦を棒にふった。翌年もキャンプではまだ完治していなくて、開幕に は不安な状況でのぞんだ。そして迎えた四月五日のナゴヤ球場での 対阪神戦に先発して、見事に完投したのであった。最後の打者を討 ち取った瞬間、マウンド上でガッツポーズのまま、涙が頬を伝った。 「大学三年のときも右腕の動脈閉塞で苦しんだことがあった。しかし、今回のけがは辛かった。完投できて、ほっと気がゆるんだら、涙が出てしまった」
 
その他、大下弘 華麗な本塁打時代の幕を開けた男」「川上哲治 さらば多摩川グラウンド」「荒牧淳 火の玉の左腕投手」「中西太 伝説の怪童」「山本浩二 応援を変化させた名手」「福本豊 塁間を駆け抜けた男の五訓」など。
 
 
いいなあ。星野、男だなあ!♪ 野球ってやっぱいいいよね。オススメです。(^^)