
ワタシは多くのミュージシャンから影響を受けているが、その一人がフォーク・クルセダーズの北山修だ。(^^)
「バースデイライブ」をやることになったのも『25 ばあすでい・こんさあと』と『35歳バースデー・コンサート』が元になっている。この2枚のアルバムは、どれだけ聴いたか!!!よし!自分もあんなカンジのライブをやってみたい!!!と十代の頃に考えていたことだ。そうかあ……けっこう夢を実現させてるなあ!(笑)
さてこの本。本業である精神科医としての北山修のこの本。実はすごい発見かも!!!
「浮世絵に描かれた母子像は何を語るか。蛍、花火、しゃぼん玉。輝いて、そして消えていく対象を眺める母子。象徴を共有し、言語を使用するための基盤となるこの構図を日本人はなぜ好むのか?「共視」する母子を取り囲む「場」の文化とは?精神分析学をはじめ、さまざまな分野の新しい知見をもとに考察する、視線をめぐる人間論」そのエッセンスを紹介しよう。
・供視母子像は、この世でもっとも美しいものの一つである。 この美しさには、 人が言葉を獲得して文化に参入する小児期の移行の危機が孕まれて いる。
・現代医学の大部分が「西洋医学」と呼ばれるように、 その臨床実践に関わる多くの発想がドイツ語や英語に根ざしている からである。 心の医学あるいは臨床心理学の場合はそれでは困ることがある。 心の在り方と言葉が深く関わるので、 方法が日本語であることはその内容を左右する重大な条件となるの だ。

・ 浮世絵の約450組の母子像を分類するとひとつの型がくりかえさ れていることに気づいた。 同じ対象を共に眺めているように見える母子像が頻繁に登場するの である。この構図は、 母子像の他にも成人のカップルや物見遊山の群衆、 あるいは動物たちを描く絵にも盛んに登場し、 さらには顔を見せない後ろ姿の母子も多く見られる。絵師は「 同じものを眺める姿」 の構図を大衆のニードを照らし返すようにして量産しており、 その二人の在り方は、絵の中だけではない。 日常的な人間関係の在り方に通じるものがあるのではないかと考え た。そこで私は、この人の姿に「共に眺めること」「供視」 と名前をつけた。
・「あの素晴らしい愛をもう一度」の「同じ花を見て」 というときの花の存在が、参加する鑑賞者に連帯「感」を与える。 この国では、横並びの関係は、屋台でベンチで、 そして電車のシートで、今も「饒舌に」くりかえされている。 しかし、あまり言葉にならない部分であり、 むしろ視覚的媒体の浮世絵だからこそその様子を効果的に示すこと ができたのだと思う。
・猫にちょっかいを出したくなって、マリを投げてみる。 猫がそれを見る時、ある種の達成感と共に、私が嬉しくなののは、 猫と私が同じ世界に生きているという「つながり」 を感じるからだ。でも、 猫はすぐに他所を向いて私の世界を出ていく。 そして至福の瞬間も消える。その時「猫の立場から」 見た視点というものの存在を思い知る。私が面白くてても、 猫には面白くないのだ。これらの絵は、そういったはかない「 つながり」の「結び分けられる」瞬間を描いている。
・人と人とのコミュニケーションは、人と人とのあいだに「 共通のもの」をつくりだす共同化の営みである。「 共に見ること語ること」は、 その根幹をかたちづくる行為であろう。

・生後二〜三ヶ月頃の乳児は、 この世にこんなに面白いものがあるかしらとでもいうように、 人の顔、特に目を、じっと穴があくほど長く見つめる。そして「 天使の微笑」をふりまいてくれる。恋愛の初期にも、 お互いの顔を見合って、 他には何もいらないと思える一時期がある。 当事者にとっては至福のコミュニケーションである。
・子どもの最初の指差しは、自己と他者が「並ぶ」 関係をつくって、自分が関心をもったモノを他者と共同化し、 同じものを並んで共に眺める行為だと考えられる。最近では「 共同注意」と呼ばれるようになった。
これはすごい発見かも!?その通りだよなあー!日本人ってあまり見つめ合うってしないもんね。さらに深堀りして欲しい。超オススメです。(^^)

