「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「スカートの下の劇場 ひとはどうしてパンティにこだわるのか」(上野千鶴子)

 
んなタイトルを目にしたからにゃ、絶対に手に取りたくなるよね。まるでパンティの中を覗きたくなるように。(笑)
 
なぜ性器を隠すのか?女はいかなる基準でパンティを選ぶのか?――女と男の非対称性に深く立ち入って、下着を通したセクシュアリティの文明史をあざやかに描ききる。
初版刊行直後から大反響を呼び、またたくまにベストセラーとなった記念碑的名著の新装版」そのエッセンスを紹介しよう。
 
人はいったい、いつごろから下着を身につけるようになったのだろう?私はもっとも狭い意味の下着ーつまり性器を覆うものーにしか興味がないのだ。人はなぜ性器を覆うのか?
 
女たちへのパンティとそれに対する男たちのファンタジーは、ただそれによって隠されたものへの想像をかきたてるためにだけ、あるように見える。パンティ姿の音波ーれーどは、女たちのカントのカタログよりも、もっと猥褻でセクシーなことだろう。なぜなら現実より想像の方がいつでも豊かだからだから下着フェティシズムの男は、盗んできた下着が包んでいたはずの現実の女のボディより、ほんとうを言うと下着そのものの方をーその下着かかきたてる彼自身の妄想の方をーもっと愛しているのだ。
 
隠すことによってタブーが発生し、そのことによって隠されたものの値打ちが上がった身体部位に、バストがあります。日本人がブラジャーをはじめた歴史というものはものすごく浅いのです。ほんの三十年くらい前まで、日本の女はだいたいどこでも平気で、講習の面前で胸をはだけて赤ん坊におっぱいをやるというのが普通でした。おっぱいは母性の象徴で、性的シンボルではありませんでした。隠せば見たい、隠すからバストの値打ちが高まる。どうやら性器も含まれていたのではないかと思います。
 
パンティは性器のラッピング・ペーパーですから多様な選択肢の中から毎日パンティを取り替えるという行為には、ちょっと飛躍した言い方ですが、ファッションと同じようにそれで性器の気分が変わる、という感覚がひそんでいます。それには一種の性器のパーツ化、カセット化が女の子の間で進んでいることと無関係ではありません。
 

「女はいかなる基準でパンティを選ぶか」「セックスアピールとナルシシズム」「隠すことで価値が出る」「ブリーフとトランクスー悪夢の選択」「家事労働と下着の関係」「いつから毎日下着を取り替えるようになったか」「下着の管理は性器の管理」「かくして主婦は家族全員の下着=性器を支配する」「姉妹はパンティを共有するか」「「マラ兄弟」と「オマンコ・シスターズ」」「パンティのカジュアル化と性行動のカジュアル化」「ビニ本」は二重のラップに包まれている」など。

 

ワタシは、ラッピングの中身の方が好きだけどね。(笑)深い、実に深い。オススメです。(^^)