70年台前半の音楽界は、吉田拓郎と井上陽水の二大アーチストのものだった。 そしてワタシもかなりの影響を受けた。アルバムではじめて聴いたのは、拓郎が「伽草子」、陽水が「GOOD PAGES」。中一の数学の先生からテープにダビングしてもらった。もう本当に擦り切れるように聴いた、聴いた、覚えた。
さてこの本。「実存的世界の中で「本当の世界」への希求はどのように変質していくのか。井上陽水の世界に超越論的欲望の変容とその行方を探り、“
「傘がない」「夢の中へ」などは、 わたしにとってはべつに特筆されるほどの意味は持たない。『 断絶』のオープニングは「あこがれ」だが、 この曲こそ陽水の登場にじつにふさわしい響きを持っている。
♫ さみしい時は男がわかる
笑顔で隠す男の涙
男は一人旅するもの
荒野をめざし旅するものだ
ラララ……
これが男の姿なら 私もつい あこがれてしまう
女は清く優しく生きて
電車にのれば座席をゆずり
悲しい歌が聞こえてきたら
ほろりと涙流してしまう
ラララ……
これが女の姿がら 私もつい あこがれてしまう
「あこがれ」が、
「あこがれてしまう」というフレーズは、 こういったイメージが一般に若い男女にとってあこがれの対象であ ることを、 歌い手はすでに知っているということを含意しているのである。「 私はそういう男にあこがれてしまう」は、つまりこの「男性」 像がひとつの幻想にほかならぬことの対象化である。 そしてそれが対象化(=距離をとって見ること)であるからこそ「 あこがれ」は、 自分はもはやその幻想の内側で生きていることはできない、 というディストリビューションの定型をあやうく結んでいるわけだ 。
・陽水がサングラスをかける理由。「たとえば、 いかがわしい場所で人間の道を極めるため」
・「ぼくはたくさん売りたいとは思うけれども、 売れないものが良くないのかというと、そうでもない。だけど、 売れるということ以外に音楽を計るものさしを見つけられない」
ワタシも「あこがれ」からスタートする『断絶』の世界がサイコーに大好き。陽水ファン、必読っ!オススメです。(・∀・)